東京五輪後のレガシーだったはずの共生社会はどこへ?
問われる東京都と社会の責任
結局、最大の問題は東京がどんな街を目指し、そのためにオリ・パラというイベントがどのような形で実現に貢献できるのかという議論を怠ってきたことにある。「共生社会の実現」一つをとっても、それを開催までのお題目と考える人々と、真剣に目指そうとして協力してきた当事者の間には決定的なズレがあった。意識のズレは、大会という大きな目標が存在している間は表面化しないで済む。だが「大会が終わればゴール」という考えでは、レガシーをめぐる議論は空中分解する。
今や東京オリ・パラの話題の中心は東京地検特捜部による談合などの捜査の行く末だ。事件化した大会組織委のスキャンダルは徹底的に解明されるべきものである。しかし、事件があるからといってレガシーをめぐる議論を放置していい理由にはならない。当事者からの問いに応じなければいけないのは東京都、そして社会のほうだ。
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