コラム

泣ける歌 イスラエルで復権した「クウェート人兄弟」

2018年03月30日(金)12時20分

兄弟は早くからその才能を開花させ、彼らが最初に名をなした名曲「ワッラーヒ・アジャブニー・ジャマーレク(アッラーにかけて、おまえの美しさはおれを魅了する)」は「ソウト」として知られる湾岸音楽の傑作として今でも演奏されている。やがて彼らは、クウェート国内の有力者たちの宴席に招かれ、演奏するようになり、その名声は国外にも広まっていった。

1927年には父の祖国であるイラクに招かれ、バスラでレコーディングを行った。音楽家として身を立てる自信がついたのであろう。彼らは家族ともどもクウェートからバスラに再移住する。ここでサーリフはイラク音楽(マカーム)を学び、さらに音楽理解を深め、多数の作品を残していった。バスラでも有名になった兄弟は、今度はイラクの首都バグダードに移り、そこで西洋音楽も学んだとされる。

バグダードでクウェーティー兄弟はアラブ音楽界の重鎮、エジプトのムハンマド・アブドゥルワッハーブとウンム・クルトゥームと出会う。とくに後者は、サーリフにわざわざ自分のための曲を書くよう依頼したとされる(その歌が「ガルバク・サフル・ジャルムード〔あなたの心は石のよう〕」といわれているが、これはイラクの有名な歌手、サリーマ・ムラードの持ち歌でもある)。

アラブ世界を代表する音楽家がゲットーに

クウェーティー兄弟はイラク国王のガージーやフェイサルの寵愛も受け、文字どおりイラク、いやアラブ世界を代表する音楽家に成長していった。だが、音楽とはまったく別のところで、彼らを取り巻く環境は急速に悪化していく。イスラエルの建国、第1次中東戦争、そしてアラブ民族主義の高揚である。

1951年、兄弟は家族とともに建国したばかりのユダヤ人国家イスラエルに移住する。しかし、イスラエルでも彼らは歓迎されなかった。アラブ世界を代表する音楽家という名声はイスラエルでは何の役にも立たず、彼らは他のアラブからの移民といっしょにゲットーに押し込められた。演奏活動もほそぼそとつづけていたが、それだけでは生活ができず、食料品などを売って生計を立てていたといわれている。イスラエルはアラブ文化を尊ばず、他方アラブ世界ではイスラエル人の音楽はボイコット対象となった。

とはいえ、兄弟の音楽は、1950年代でもアラブ人のあいだで人気があったため、イスラエルで製作した楽曲も含め、アラブの放送局でしばしば流されていた。ただし、クウェーティー兄弟の名前は、公式にはアラブの音楽シーンから削除されてしまっていた(イラクからみると、彼らがクウェートという名前を使ったのも気に入らなかったんだろう)。

1991年の湾岸戦争でイラク軍兵士は、知ってか知らずか、クウェーティー兄弟の曲を聴きながら、イスラエルに向けミサイルを発射していたなどという逸話もある。

プロフィール

保坂修司

日本エネルギー経済研究所中東研究センター研究顧問。日本中東学会会長。
慶應義塾大学大学院修士課程修了(東洋史専攻)。在クウェート日本大使館・在サウジアラビア日本大使館専門調査員、中東調査会研究員、近畿大学教授、日本エネルギー経済研究所理事・中東研究センター長等を経て、現職。早稲田大学客員上級研究員を兼任。専門はペルシア湾岸地域近現代史、中東メディア論。主な著書に『乞食とイスラーム』(筑摩書房)、『新版 オサマ・ビンラディンの生涯と聖戦』(朝日新聞出版)、『イラク戦争と変貌する中東世界』『サイバー・イスラーム――越境する公共圏』(いずれも山川出版社)、『サウジアラビア――変わりゆく石油王国』『ジハード主義――アルカイダからイスラーム国へ』(いずれも岩波書店)など。

あわせて読みたい
ニュース速報

ビジネス

米国株式市場・午前=大幅反発、前日の急落から地合い

ビジネス

FRB議長解任、検討されていないこと強く望む=EC

ビジネス

米FRB、「政治的独立」で信頼構築=フィラデルフィ

ビジネス

IMF、金融安定リスク大幅拡大に警鐘 貿易巡る混乱
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:独占取材 カンボジア国際詐欺
特集:独占取材 カンボジア国際詐欺
2025年4月29日号(4/22発売)

タイ・ミャンマーでの大摘発を経て焦点はカンボジアへ。政府と癒着した犯罪の巣窟に日本人の影

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    「スケールが違う」天の川にそっくりな銀河、宇宙初期に発見される
  • 2
    【クイズ】「地球の肺」と呼ばれる場所はどこ?
  • 3
    パウエルFRB議長解任までやったとしてもトランプの「利下げ」は悪手で逆効果
  • 4
    日本の人口減少「衝撃の実態」...データは何を語る?
  • 5
    コロナ「武漢研究所説」強調する米政府の新サイト立…
  • 6
    アメリカは「極悪非道の泥棒国家」と大炎上...トラン…
  • 7
    なぜ世界中の人が「日本アニメ」にハマるのか?...鬼…
  • 8
    【クイズ】世界で最もヒットした「日本のアニメ映画…
  • 9
    米経済への悪影響も大きい「トランプ関税」...なぜ、…
  • 10
    「生はちみつ」と「純粋はちみつ」は何が違うのか?.…
  • 1
    【クイズ】世界で最も「半導体の工場」が多い国どこ? 1位は意外にも...!?
  • 2
    「生はちみつ」と「純粋はちみつ」は何が違うのか?...「偽スーパーフード」に専門家が警鐘
  • 3
    しゃがんだ瞬間...「えっ全部見えてる?」ジムで遭遇した「透けレギンス」投稿にネット騒然
  • 4
    【渡航注意】今のアメリカでうっかり捕まれば、裁判…
  • 5
    女性職員を毎日「ランチに誘う」...90歳の男性ボラン…
  • 6
    【クイズ】売上高が世界1位の「半導体ベンダー」はど…
  • 7
    「スケールが違う」天の川にそっくりな銀河、宇宙初…
  • 8
    「100歳まで食・酒を楽しもう」肝機能が復活! 脂肪…
  • 9
    自宅の天井から「謎の物体」が...「これは何?」と投…
  • 10
    『職場の「困った人」をうまく動かす心理術』は必ず…
  • 1
    【話題の写真】高速列車で前席のカップルが「最悪の行為」に及ぶ...インド人男性の撮影した「衝撃写真」にネット震撼【画像】
  • 2
    「一夜にして死の川に」 ザンビアで、中国所有の鉱山ダムから有毒の水が流出...惨状伝える映像
  • 3
    健康寿命を伸ばすカギは「人体最大の器官」にあった...糖尿病を予防し、がんと闘う効果にも期待が
  • 4
    【クイズ】世界で最も「レアアースの埋蔵量」が多い…
  • 5
    【心が疲れたとき】メンタルが一瞬で “最…
  • 6
    テスラの没落が止まらない...株価は暴落、業績も行き…
  • 7
    中居正広は何をしたのか? 真相を知るためにできる…
  • 8
    間食はなぜ「ナッツ一択」なのか?...がん・心疾患・抜…
  • 9
    自らの醜悪さを晒すだけ...ジブリ風AIイラストに「大…
  • 10
    北朝鮮兵の親たち、息子の「ロシア送り」を阻止する…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story