習近平の「独裁体制」は弱さの裏返し
かねてから噂されていたように毛沢東並みのワンマン支配を目指すのか Aly Song-REUTERS
<習近平の終身政治に道を開いた中国共産党の決定は、個人的な傲慢さによるものか指導部の不安の証左か>
2018年2月25日は、21世紀前半の世界を変える重大発表があった日として歴史に刻まれるかもしれない。中国共産党中央委員会はこの日、国家主席の2期10年の任期を撤廃する憲法改正案を発表。3月5日から始まる全国人民代表大会(全人代)で改正が成立するのは確実で、習近平(シー・チンピン)主席は3期目以降も現職にとどまれることになる。
この動きが歴史的に重要なのは、習の終身統治が第二次大戦後の世界秩序を葬り去る可能性があるからだ。市場資本主義、民主主義、個人の権利を中心とした政治制度など欧米の価値観に基づく秩序が失われかねない。
これからは中国が世界のリーダーになると、習は明言している。つまり、個人より国家を優先する「中国モデル」の独裁的統治が、過去75年間近く各国の統治の模範として、また国際的な枠組みをつくる上でも、重要な役割を果たしてきた欧米型民主主義に取って代わろうとしている。
中国が影響力を増す一方で、アメリカは自国第一主義を叫ぶドナルド・トランプ大統領の下、国際舞台からの撤退を決め込んでいる。この状況では2018年が、冷戦の終わった1989年、いや第二次大戦終結の1945年以降、世界の勢力図が最も大きく変わった年として歴史に刻まれかねない。
「アジア型」開発モデルについては、78年の鄧小平(トン・シアオピン)の改革開放以降、さまざまに論じられてきた。鄧の市場経済導入も、リー・クアンユーの指導下でのシンガポールの経済成長も、独裁的な統治と市場ベースの経済開発を組み合わせた、いわゆる「開発独裁」だ。
政治活動の自由や個人の権利が制限されても、経済が成長していれば、人々は政府を支持し、社会の現状に満足するといわれている(特にアジア人はその傾向が顕著だとの説もある)。
開発独裁は中国古来の儒教文化とも親和性が高い。儒教の伝統では政治は政治家の専売特許で、民が口出しすべきものではない。政府は自分たちがつくったり、改革したりするものではなく、天候のようにただ受け入れ、耐えるものとされてきた。
結局のところ長年にわたる共産党の支配をもってしても、中国に深く根付いた儒教の伝統はなくせなかった。実際、今の中国の政治と経済にとって、共産主義思想は人民服のように時代錯誤なものにすぎない。共産党政権ですら、儒教の伝統を統治に取り入れている。
「古代高級官僚のガウンをまとったナショナリズム」は独裁体制を支える柱であり、習はかつての皇帝のように絶対的な権限を掌中にしようとしている。
毛沢東時代に個人崇拝が進み、1人の人間に権力が集中し過ぎた苦い経験から、中国は2期10年の主席任期を設けた。今それを捨て去った理由については、2つの可能性が考えられる。
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