「いのちの電話」を自殺報道の免罪符にするな
多くの「健常人」は、自裁を決意した経験者に対して、次のように述べる。「なんだ、そんなことで悩んでいたんですか。そんなことで死ぬなんてばかばかしいですよ。生きていれば良いことがありますから。死なないでください」。必ずこういった趣旨のことを述べる。しかしそれを、私は「強者の発想」と感じる。健常人にとってごく当たり前にできることが出来ない。健常人にとってごく普通に解決する問題がどうしようもなく氷解不可能である。事例は様々だが、多くの人が「ばかばかしい」と一顧だにしない問題こそが、当事者にとっては死活問題なのだ。俗世をたくましく生き、ある程度努力し、社会的に成功してきた「強者」にとっては特段何ともない問題に対し、自裁決意者は悩まされているのかもしれないのである。
「強者の理屈」を押し付けないで欲しい。「いのちの電話」のダイヤルさえ附記すれば、自裁報道をしても悪い意味の波及効果は少ない、と思っている人がいるのなら、それは完全な「強者の理屈」だろう。仮にだがその記事を見て「いのちの電話」に繋がったとして、それが最終的解決になるかどうかなど誰にも分からないのだ。それほど自裁決意にいたるメカニズムは複雑なのである。あなたが簡単にできること。あなたが簡単に解決できる問題が、私には不可能なのだ。そういう可能性への思慮があれば、コピペみたいに「いのちの電話」の番号を書きはしない。ここに耐えられない思慮と想像力の浅さを感じて、毎度軽い吐き気を覚える私の感覚は間違っているだろうか?
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