世界が瓦解する音が聞こえる──ウクライナ侵攻の恐怖
それが全部裏切られた。プーチンは、我々人類の中にある、そういった弛緩の裏をかいて、第二次大戦後、77年をして我々の世界観を完全にひっくり返した。私たちが忘却し、或いは忘却しなかったとしても「戦争の方法そのものが変わったのだ」という現代戦の教科書的解説にすがって、「そんなことはあり得ない」「起こらないのだ、仮に起こしたくても無理なのだ」という若干願望めいた世界観をことごとく破壊した。我々は完膚なきまでにプーチンにしてやられたのだ。
思えば侵略戦争の加害国は、すべて敵の弛緩の裏をかいてきた。ヒトラーが1938年のミュンヘン会談で英仏にチェコのズデーテン地方の併合を認めさせた時、英首相チェンバレンは「これ以上の領土的野心はない」というヒトラーの詭弁を信じ、ロンドンに凱旋した。チェンバレンは「これで平和は守られた」とスピーチして喝さいを浴びた。ところがヒトラーは翌年ポーランドに電撃侵攻してその全土を約2週間で占領した。第二次大戦の悪夢が始まったのである。
フランスは独国境にマジノ線要塞があるから対独防備はまず大丈夫である、と高を括っていた。ドイツ軍参謀マンシュタインはその裏をかき、ドイツ機械化部隊はマジノ線を無視してオランダ・ベルギーから一気呵成に越境してパリを占領した。マジノ線は当時のフランスが総力を挙げて築き上げた大要塞であり、これがあれば概ね不安はない、という弛緩した空気の虚を突かれた。
真珠湾攻撃もそうだった
1941年6月、ソ連首相スターリンは諜報機関からドイツ軍の国境集結の情報を受け取っていながら、「侵攻は無い」と結論して安堵したために、緒戦で赤軍は壊滅し、モスクワ占領一歩手前までの窮地に立たされた。或いは1941年12月、ルーズベルトは「仮に日本が太平洋方面を攻撃するとすれば、それはフィリピンだ」として、ハワイ防衛の必要性を軽視した。そしてあの真珠湾攻撃が起こった。
「侵略者は常に相手の裏をかく」という、いわば古典的侵略戦争における"原則"をこれだけ我々は歴史的に経験しながら、「ああいった大規模侵略は、最早起こりようがないのだ」と弛緩したために、またもその裏をかかれたのだ。少なくとも西側の私たちは常日頃「歴史からの教訓」と口にするが、実際には何も教訓としていなかったばかりか、皮膚感覚に、私たちの心の奥底に打刻することを怠ったのだ。そしてそれを事前に、ほとんど正確に予測していたアメリカの諜報機関等による情報精度が如何に高かったのかを、世界は直後に知ることになったのである。
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