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安倍元首相の国葬に反対する
公文書の改竄だけでなく、安倍政権時代には、日本の立憲民主主義に対する様々な挑戦が行われていた。2014年の集団的自衛権容認の閣議決定は、憲法違反の疑いが強いにも拘らず行われた。その準備として、高い独立性を持ち、最高裁に代わって事実上の「憲法の番人」となっていた内閣法制局を屈服させている。また2017年には憲法53条に基づき野党が求めた臨時国会の招集を3ヶ月も先延ばしにした。
当然ながら、各政権それぞれ多かれ少なかれ不祥事や問題点はある。だが論点は、他の首相経験者と比較しても、安倍元首相が国葬に値するかだ。疑惑の多くは公文書を公開しないせいで未だ全容が明らかではない。つい数日前も、これまでないとされてきたアベノマスクに関する厚生労働省と業者間のやりとりメールが発見された。立憲主義を毀損するような様々な前例は、日本の将来に禍根を残す。それらを考慮に入れたとき、果たして安倍元首相は国葬に値するのだろうか。
安倍元首相の神格化に繋がる恐れ
たとえばアメリカ合衆国では、大統領経験者は原則的に国葬をすることになっている。このように明確な基準に基づいて国葬を執り行うのであればまだ理解できる。しかし事績に基づけば国葬に値するかどうかは疑わしい人物を、選挙演説中に殺害されたインパクトをもって強引に国葬を執り行ってしまうのは危険であり、故人の神格化に繋がるだろう。
根源的にいえば、国葬とは、故人の人格性を利用して国民を統合せんとする政治的な技術の一つだ。安倍元首相に近しかった国際政治学者の三浦瑠麗は、国葬に期待することとして、「左右両極の極論を排して、サイレント・マジョリティーの統合と落ち着きに資すること」を挙げた。
しかし、人々が分断されている状態はそんなに悪いことなのか。確かに安倍元首相の殺害後、安倍政権的なものを評価するか否かが日本に大きな分断をもたらしていることが明らかになった。しかしそれは安倍政治の結果でもあるのだ。そもそも安倍元首相が、政治的な対立相手を「こんな人たち」と呼び、敵対性をはっきりと打ち出していた。
そうであるならば、まずは「左右両極の」敵対性がここに存在していることを受け入れることから始めなければいけないのではないか。国葬というホウタイでその敵対性を隠ぺいしたところに生じる「サイレント・マジョリティーの統合」なるものは、ファシズムの言い換えでしかないだろう。
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