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「中の人」の視点で終わった『東京2020オリンピック SIDE:B』
「東京2020オリンピック」は、大会の運営に関して様々な問題が発生し、国内外から批判された。もちろんこの映画でもそのような問題については触れられており、特に狂言師の野村萬斎が開閉会式演出の総合統括の辞任に追い込まれたことや、東京オリンピック・パラリンピック組織委員会を辞任した森喜朗・元首相の失言などについては批判的に扱われている。しかし、オリンピック開催に賛成する者からでさえ問題がある人物として扱われていた国際オリンピック委員会(IOC)会長のトーマス・バッハは、ほとんど善人として扱われているし、森喜朗も映画の結末では最終的に赦されている。オリンピック反対派の主要な論点の一つである再開発の問題に関しては全く触れられない。オリンピックの商業主義の問題は、たとえば野村萬斎が考えるオリンピックの開会式の芸術性を広告代理店が理解しない、という文脈で理解、やや皮肉めいた視線が向けられるだけだ。
開会式関係では、五輪開会式の演出の総合統括だった電通出身の佐々木宏に関してはその辞任も含めて悪意を持って描いているが、過去のいじめ問題により直前で辞任することになった五輪開会式の作曲担当だった音楽家の小山田圭吾や、過去にユダヤ人虐殺を揶揄するコントを行っていたとして解任された開閉会式の演出ディレクターだったお笑い芸人の小林賢太郎については全く触れられていない。森や佐々木が辞任したことによって組織委には12人の新たな女性理事が誕生したが、河瀨直美はその様子を誇らしげに描いている。そしてこれ以降、組織批判はほとんどなくなる。
『SIDE:A』とは異なり、『SIDE:B』では河瀨直美はオリンピックに肩入れしていることを隠そうともしていない。それは『SIDE:A』では入っていなかった撮影者の声、つまり河瀨自身の声が、『SIDE:B』で入っていることからも分かる。理由は不明だが、撮影している間に次第に情が移ってしまったのかもしれない。この監督は『SIDE:B』では、『SIDE:A』で持っていた神の視点、観察者の視点を放棄し、オリンピックの「中の人」として振舞っているのだ。
選手の描き方は「現場プロフェッショナルロマン主義」
『SIDE:A』では、「新型コロナの蔓延や組織委の不祥事によって東京オリンピックの開催に批判が集まっているが、その一番の被害者は選手だ。自分の出来ることを頑張っている選手を応援しよう」という「現場プロフェッショナルロマン主義」はほとんど見られなかった。しかし『SIDE:B』では、「選手のためにオリンピックを開催しよう」というプロパガンダに同調する姿勢が露骨に出ていた。もちろん選手だけではなく、オリンピックを支える裏方の視点もこの映画では描かれ、安直な「現場プロフェッショナルロマン主義」イデオロギーが各方面で頻出している。
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