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五輪開催の是非、コロナ分科会に諮問しない ── 安倍政権以来の悪弊続く
このような分科会長の「助け舟」にもかかわらず、政府はオリンピックを、観客を入れて開催しようとしている。東京都もその方針を崩していない。代々木公園で行われる予定だったパブリックビューイングは、反対運動が高揚したことによって中止になったが、井の頭公園や上野公園でのパブリックビューイングはまだ中止になっていない。
この春の、コロナ感染者の急激な増加を受けて、日本の医療は限界に達した。大阪など医療崩壊した地域では1日の死者数が過去最多を更新し、入院できず自宅で放置されてしまった感染者が何千人にも上るなど地獄絵図と化している。こうした実情を考慮して、少しでも感染リスクを避けようとする考えすら、今の政権にはないということなのだ。
賢明なる選択ができる政府へ
昨年からの日本のコロナ対策は、緊急事態宣言を出す条件などについての明確な基準を定めないまま続けられてきた。そのため2回目の緊急事態宣言を早期に解除してしまい、春の感染拡大を招くなどの失敗が起こった。
基準を明確に定めないのは、科学的な基準で提言された選択がもし政治的に都合が悪ければ黙殺できるからだろう。もちろん科学と政治は異なり、政治的判断はあらゆる基準を考慮して行わなければならない。たとえば「科学」が反人権的な政策を要請したとしても、「政治」はそれを拒否しなければならない。
とはいえ、何らかの基準を定めてそれに沿って政治が動くことは、一般論としては人権を擁護する上でも都合がよい。基準を破る場合は、なぜ破らなければならないのかという説明責任を果たせばよいだけのことだ。それを行えないのは、政治的判断の中に利権が入り込んでいる場合だ。そしてコロナ対策に関して科学的提言を受け入れられない大きな阻害要因となっているのがオリンピックなのだ。
コロナ分科会は分科会で、もっと早くから政府に強い提言を行っていくべきだった。だが、感染初期のクラスター対策班のリーダーだった西浦教授が暴露しているように、根本的な問題は親政府的な立場をとっている専門家でさえ自由な発言や行動を許さなかった政府にある。
オリンピックの開催は見直される必要がある。そして夏以降もコロナは続く。公正かつ合理的なワクチン接種計画も立てなければならない。そのためにも我々には、科学的なものに敬意を持ち、賢明な選択ができる政府を選択する責務が課せられているのだ。
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