コラム

死んだブタの細胞と臓器を回復させる新技術「OrganEx」と、ブタからヒトへの臓器移植元年

2022年08月16日(火)11時25分

OrganExは、手術中に使用される人工心肺装置に似た「体外式拍動灌流(かんりゅう)システム」です。ブタの循環系に接続され、灌流液を体内に送り込みます。灌流液は、合成血液に、血栓の形成や炎症を抑制したり死んだブタの細胞を活性化させたりする成分を入れて特別に調合した液体です。

研究チームは、薬物投与で心臓麻痺(心室細動)を誘発して安楽死させたブタを、死後1時間経ってからOrganExに6時間つなぎました。OrganExの効果を確かめるため、ECMOを利用した場合と比較して、細胞や臓器の損傷の度合いを観察しました。実験に用いたブタの頭数は約100頭です。

通常、心肺が停止すると、哺乳動物では臓器が膨張し始め、血管が潰れて血液の循環が妨げられます。けれどOrganExをつないだ個体は、出血や組織の腫れといった徴候が減少しました。心臓・肺・肝臓・腎臓・すい臓といった主要な臓器の損傷も少なく、細胞の新陳代謝も活発なことが確認されました。対して、ECMOをつないだ場合は、臓器の腫脹、死後硬直、臓器損傷などの進行を妨げられませんでした。

ヒトへの応用は容易ではないが

研究者らを驚かせたのは、ブタの全身の血行が回復したことです。OrganExを使用したブタは循環機能が回復し、細胞や組織レベルで蘇生しているように見えました。顕微鏡で観察すると、生きたブタの健康な臓器と、OrganExを適用した死んだブタの臓器の違いを見分けるのが難しいくらいだったと言います。

心臓では電気的な活動も見られ、収縮する能力が復活していました。遺伝子レベルで見ると、体内で修復プロセスが起こっていることを示す臓器特異的、あるいは細胞腫に特異的な遺伝子の発現パターンが観察されました。

加えて、OrganExにつないだ6時間の観察中に、頭部と頸部に不随意的な筋肉運動も見られました。これは、死後も一部の運動機能が保たれる可能性を示しています。

今回の結果は、死んだブタが生き返ったわけではありません。また、脳機能に関連しては、電気的な脳活動の証拠は観察できませんでした。

とはいえ、セスタン教授は「心臓の鼓動が止まると数分で、血流が不足する局所貧血によって連鎖的な生化学反応が引き起こされ、酸素と栄養素が止まります。すると細胞の破壊が始まります。今回の研究では、細胞死の進行は回避できないほど急速ではなく、修復できる可能性もあることが示されました」と語ります。

プロフィール

茜 灯里

作家・科学ジャーナリスト/博士(理学)・獣医師。東京生まれ。東京大学理学部地球惑星物理学科、同農学部獣医学専修卒業、東京大学大学院理学系研究科地球惑星科学専攻博士課程修了。朝日新聞記者、大学教員などを経て第 24 回日本ミステリー文学大賞新人賞を受賞。小説に『馬疫』(2021 年、光文社)、ノンフィクションに『地球にじいろ図鑑』(2023年、化学同人)がある。分担執筆に『ニュートリノ』(2003 年、東京大学出版会)、『科学ジャーナリストの手法』(2007 年、化学同人)など。

あわせて読みたい
ニュース速報

ワールド

トランプ氏、米軍制服組トップ解任 指導部の大規模刷

ワールド

アングル:性的少数者がおびえるドイツ議会選、極右台

ワールド

アングル:高評価なのに「仕事できない」と解雇、米D

ビジネス

米国株式市場=3指数大幅下落、さえない経済指標で売
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:ウクライナが停戦する日
特集:ウクライナが停戦する日
2025年2月25日号(2/18発売)

ゼレンスキーとプーチンがトランプの圧力で妥協? 20万人以上が死んだ戦争が終わる条件は

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    口から入ったマイクロプラスチックの行く先は「脳」だった?...高濃度で含まれる「食べ物」に注意【最新研究】
  • 2
    人気も販売台数も凋落...クールなEVテスラ「オワコン化」の理由
  • 3
    メーガン妃が「アイデンティティ危機」に直面...「必死すぎる」「迷走中」
  • 4
    1888年の未解決事件、ついに終焉か? 「切り裂きジャ…
  • 5
    深夜の防犯カメラ写真に「幽霊の姿が!」と話題に...…
  • 6
    がん細胞が正常に戻る「分子スイッチ」が発見される…
  • 7
    ソ連時代の「勝利の旗」掲げるロシア軍車両を次々爆…
  • 8
    私に「家」をくれたのは、この茶トラ猫でした
  • 9
    トランプが「マスクに主役を奪われて怒っている」...…
  • 10
    飛行中の航空機が空中で発火、大炎上...米テキサスの…
  • 1
    口から入ったマイクロプラスチックの行く先は「脳」だった?...高濃度で含まれる「食べ物」に注意【最新研究】
  • 2
    がん細胞が正常に戻る「分子スイッチ」が発見される【最新研究】
  • 3
    人気も販売台数も凋落...クールなEVテスラ「オワコン化」の理由
  • 4
    戦場に「北朝鮮兵はもういない」とロシア国営テレビ.…
  • 5
    動かないのに筋力アップ? 88歳医大名誉教授が語る「…
  • 6
    朝1杯の「バターコーヒー」が老化を遅らせる...細胞…
  • 7
    7年後に迫る「小惑星の衝突を防げ」、中国が「地球防…
  • 8
    ビタミンB1で疲労回復!疲れに効く3つの野菜&腸活に…
  • 9
    「トランプ相互関税」の範囲が広すぎて滅茶苦茶...VA…
  • 10
    飛行中の航空機が空中で発火、大炎上...米テキサスの…
  • 1
    週刊文春は「訂正」を出す必要などなかった
  • 2
    中居正広は何をしたのか? 真相を知るためにできる唯一の方法
  • 3
    【一発アウト】税務署が「怪しい!」と思う通帳とは?
  • 4
    口から入ったマイクロプラスチックの行く先は「脳」…
  • 5
    「健康寿命」を延ばすのは「少食」と「皮下脂肪」だ…
  • 6
    1日大さじ1杯でOK!「細胞の老化」や「体重の増加」…
  • 7
    がん細胞が正常に戻る「分子スイッチ」が発見される…
  • 8
    戦場に「北朝鮮兵はもういない」とロシア国営テレビ.…
  • 9
    世界初の研究:コーヒーは「飲む時間帯」で健康効果…
  • 10
    「DeepSeekショック」の株価大暴落が回避された理由
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story