最新記事

医療

理想の医療保険制度はどの国にある?

どんな国にも医療費抑制のための線引きはあるが、経済力で患者を線引きし、毎年2万2000人を死なす先進国はアメリカだけ。他の国はどうしているのか

2009年10月15日(木)15時04分
T・R・リード(ジャーナリスト)

 私たちカナダ人は控えめな性格なので、『俺たちが1番だ!』と声を合わせて叫んだりしない」と、マーカス・デービーズは穏やかな口調で言った。「それでも私たちのほうがアメリカより優れていると感じる分野が2つある。アイスホッケーと医療保険制度だ」

 デービーズはカナダのサスカチワン州医師会の広報担当責任者。だからカナダの医療を自慢しても不思議ではないが、カナダでは全国民がほぼ例外なく自国の医療保険制度を誇りに思っている。

 カナダ人はよく、わが国は国民皆保険制で、患者の自己負担はほとんどないと指摘する。4600万人が無保険状態のアメリカとは違うというわけだ。さらにアメリカでは毎年約70万人が医療費を払えずに自己破産するが、カナダではありえ得ないとも言う。

 確かにカナダはすべての重症患者に素早い治療を無料で提供している。だが緊急の処置が必要な患者以外は、医療を受けるために長く待たされることが多い。私はこの夏、右肩の痛みを診てもらうためにカナダで整形外科医の予約を取ろうとしたが、初診まで10カ月待ちだと言われた。

 患者をこんなに待たせる制度を誇りに思っているのか──そうデービーズに質問すると、こんな答えが返ってきた。「確かに患者には待ってもらう。だが、それは医療費を抑えるためだ。カナダ人は緊急性の低い医療は長く待たされてもいいと思っている。ただし、金持ちも貧しい人も同じ時間だけ待つのが条件だ」

 この最後の言葉は、医療保険制度に対するカナダ国民の考え方をよく表している。医療は最も高い値段で競り落とされる「商品」ではなく、全国民が等しく享受すべき「権利」だという考え方だ。

 つまり、カナダ人は国民性にぴったりの医療保険制度をつくり上げたと言うことができる。彼らは徹底して平等にこだわるが、同時に節約も重視する。

国民皆保険は当然の権利

 国民性と文化を反映した医療保険制度──私はアメリカ以外の先進国の医療保険制度を取り上げたテレビ・ドキュメンタリーと著書の取材で世界中を旅したが、行く先々で同じような例に出合った。

「どの国でも、原則として医療保険制度は国民の価値観や国民性で決まる」と、この問題の世界的権威であるプリンストン大学のユーウィー・ラインハルト教授(経済学)は指摘する。

 どの国でも医療保険制度の設計には、政治的・医学的・経済的な判断が関係している。だが、新たな公的医療保険制度の導入を訴えた先週のバラク・オバマ米大統領の演説が浮き彫りにしたように、この問題の根底には倫理的な問い掛けがある。「豊かな国はすべての人々に必要な医療を提供すべきではないか」という問いだ。

 この問いに「イエス」と答えた国は、イギリスやドイツ、カナダ、フランス、日本のような国民皆保険制を導入するはずだ。「イエス」と答えなかった国では、一部の人間が世界最高の病院で最高の医療を受ける一方、数十万人が医療を受けられずに命を落とすような制度ができるだろう。表現を変えると、倫理的責任を否定すればアメリカのような制度になるという言い方もできる。

 世界中のどの国でも、文化は日々の医療の在り方に大きな影響を与えている。例えば東アジアの儒教文化圏では、伝統的に医師の診察や治療は無料だという考え方が強く、この地域の医師は薬を売って生計を立てていた。

 今も中国では、薬の処方と販売を両方行う医師が多い。そのため医薬分業が進んだ欧米に比べ、医師は収入を増やすために多くの薬を処方する傾向がある。

 イギリスの女性は自宅で出産するケースが多い。アメリカの女性は病院で出産するが、1~2日で退院して自宅に戻る。日本の女性は病院で出産後、平均10日間は入院を続ける。

 イギリスとスペイン、イタリアでは、患者は医療費を払わないのが原則で、医療保険は税金で賄われる。フランスでは、医療保険を利用した患者はいったん医療費の支払いを求められるが、この患者負担分の大半は1週間程度で払い戻しを受けられる。つまりフランスでは、医療は無料ではないことを患者に意識させる制度になっている。

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ワールド

豪4月失業率、4.1%に上昇 利上げ観測後退

ワールド

バイデン米大統領、2023年個人資産の状況に変化な

ワールド

中国製ドローンの関税引き上げを提案、米下院の共和党

ビジネス

TSMC米工場建設現場でトラック運転手搬送、爆発通
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:インドのヒント
特集:インドのヒント
2024年5月21日号(5/14発売)

矛盾だらけの人口超大国インド。読み解くカギはモディ首相の言葉にあり

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1

    立ち上る火柱、転がる犠牲者、ロシアの軍用車両10両を一度に焼き尽くす動画をウクライナ軍が投稿

  • 2

    プーチン5期目はデフォルト前夜?......ロシアの歴史も「韻」を踏む

  • 3

    北米で素数ゼミが1803年以来の同時大発生、騒音もダブルの「大合唱」

  • 4

    マーク・ザッカーバーグ氏インタビュー「なぜAIを無…

  • 5

    それでもインドは中国に勝てない...国内企業の投資意…

  • 6

    新宿タワマン刺殺、和久井学容疑者に「同情」などで…

  • 7

    ロシア兵がウクライナ「ATACMS」ミサイルの直撃を受…

  • 8

    羽田空港衝突事故で「日航の奇跡」を可能にした、奇…

  • 9

    総額100万円ほどの負担増...国民年金の納付「5年延長…

  • 10

    奇跡の成長に取り残された、韓国「貧困高齢者」の苦悩

  • 1

    新宿タワマン刺殺、和久井学容疑者に「同情」などできない理由

  • 2

    やっと撃墜できたドローンが、仲間の兵士に直撃する悲劇の動画...ロシア軍内で高まる「ショットガン寄越せ」の声

  • 3

    大阪万博でも「同じ過ち」が繰り返された...「太平洋戦争の敗北」を招いた日本社会の大きな弱点とは?

  • 4

    立ち上る火柱、転がる犠牲者、ロシアの軍用車両10両…

  • 5

    原因は「若者の困窮」ではない? 急速に進む韓国少…

  • 6

    北米で素数ゼミが1803年以来の同時大発生、騒音もダ…

  • 7

    「恋人に会いたい」歌姫テイラー・スウィフト...不必…

  • 8

    常圧で、種結晶を使わず、短時間で作りだせる...韓国…

  • 9

    ロシア兵がウクライナ「ATACMS」ミサイルの直撃を受…

  • 10

    ウクライナ防空の切り札「機関銃ドローン」、米追加…

  • 1

    ロシア「BUK-M1」が1発も撃てずに吹き飛ぶ瞬間...ミサイル発射寸前の「砲撃成功」動画をウクライナが公開

  • 2

    「おやつの代わりにナッツ」でむしろ太る...医学博士が教えるスナック菓子を控えるよりも美容と健康に大事なこと

  • 3

    最強生物クマムシが、大量の放射線を浴びても死なない理由が明らかに

  • 4

    新宿タワマン刺殺、和久井学容疑者に「同情」などで…

  • 5

    やっと撃墜できたドローンが、仲間の兵士に直撃する…

  • 6

    世界3位の経済大国にはなれない?インドが「過大評価…

  • 7

    一瞬の閃光と爆音...ウクライナ戦闘機、ロシア軍ドロ…

  • 8

    タトゥーだけではなかった...バイキングが行っていた…

  • 9

    ヨルダン・ラジワ皇太子妃のマタニティ姿「デニム生地…

  • 10

    どの顔が好き? 「パートナーに求める性格」が分かる…

日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story
MOOK
ニューズウィーク日本版別冊
ニューズウィーク日本版別冊

好評発売中