最新記事

医療

理想の医療保険制度はどの国にある?

2009年10月15日(木)15時04分
T・R・リード(ジャーナリスト)

医療費が払えず自己破産

 ドイツとオーストリアでは、医師がストレス軽減のために温泉治療が必要という処方箋を書いてくれれば、1週間のスパ滞在も医療保険で賄える。私がイギリスの医師に同じことが可能かどうかを尋ねると、この医師は話を聞いただけで笑いだした。

 だが最も重要な文化的影響は、公的医療保険の根幹に関わる問いに表れている。「誰を保険の対象にするのか」という問いだ。

 この点に関する限り、アメリカは自由市場経済と民主主義を奉じる先進諸国の異端児だ。他の主要国は例外なく国民皆保険制、つまり老いも若きも、病人も健常者も、富裕層も貧困層も、先住民も移民も等しく保険で医療を受けられる制度を採用している。一方、世界で最も豊かな最強国アメリカは、全国民を対象とする医療保険制度の導入に背を向け続けてきた唯一の先進国だ。

 その結果、どうなったか。政府と民間機関の調査によれば、アメリカでは毎年2万2000人前後が治療可能な病気で命を落とす。原因は医療保険に未加入で、医師にかかる経済的余裕がないからだ。

 この悲劇の犠牲者の多くは、メディケイド(低所得者医療保険制度)の対象になるほど貧しくはないが、必要な薬や医療を自力で賄えるほど豊かではない慢性疾患の患者だ。先進国のなかで、こんな事態が起きているのはアメリカだけだ。同様に、医療費の負担が原因の自己破産が続発する先進国もアメリカ以外にはない。

 こうした実態は、アメリカが下した倫理上の決断の結果にほかならない。アメリカ以外の豊かな国々は、これとは異なる倫理上の選択をした。その結果が、すべての国民が医療を受けられるようにするというシステムである。

スイスは「連帯」制度を導入

「万人は平等だとあなたたちアメリカ人は言うけれど、それは違う」と、フランスの医師バレリ・ネモンは私に言った。「容姿に恵まれた人もいれば、そうでない人もいる。頭脳明晰な人もいれば、そうでない人もいる。それでも病気になったときは、すべての人を平等に扱う。誰もが等しく医療を受ける権利を持つ。この原則をフランス人はみんな当たり前だと思っている」

 比較的最近にこの原則の採用に踏み切ったヨーロッパの国がスイスだ。94年の新制度導入の際にその根拠とされたのが「連帯」という発想だった。

「人々の連帯を深めるためには、すべての人が平等に権利を持つこと、とりわけ医療を受ける権利を平等に持つことが不可欠」だと、パスカル・クシュパン前大統領は説明してくれた。「もし不運にも病に冒されたとしても、質の高い医療が受けられる──そう安心できることは、人間の基本的な欲求だからだ」

 ヨーロッパやカナダ、東アジアの民主主義国では、こうした発想が当然のことと考えられているらしい。なぜアメリカ人はそう考えないのかと、どの国へ行っても医療行政の担当者に尋ねられた。

「難しい理屈ではない。すべての国民に医療を受けさせ、その費用をみんなで負担するということ」だと、スウェーデンの高官は言った。「聡明なアメリカ人に、どうしてそれが分からないのか」

 アメリカ以外の豊かな民主主義国のほとんどでは、「医療を受ける権利」を何らかの形で憲法で保障している。ヨーロッパの大半の国は、EU(欧州連合)の基本権憲章に署名している。「すべての人は......医療を受ける権利を有する」と、同憲章は規定している。この権利が侵害されれば、裁判を通して権利を回復できる。

 ソ連崩壊後に誕生した新しい民主主義国も、「医療を受ける権利」を憲法に盛り込んでいる場合が多い。「国家は(国民の)生きる権利と健康を維持する権利を守り、医療の機会を万人に保障する義務を負う」と、92年に作られたチェコ憲法も定めている。

 アメリカでは、合衆国憲法にも州憲法にもその種の規定はない。アメリカ独立宣言にうたわれている「不可侵」な生存権の一貫として、医療を受ける権利を求めて裁判に訴えた人たちもいるが、裁判所がそれを認めたことはない。

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ワールド

米国は「経済的大惨事」に、関税違憲判断なら トラン

ワールド

ロシア、戦争終結の取り組み「行き詰まり」 ウクライ

ワールド

シリア暫定大統領がホワイトハウス訪問、米国は制裁法

ワールド

英財務相、増税不可避と強く示唆 昨年総選挙の公約破
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:世界最高の投手
特集:世界最高の投手
2025年11月18日号(11/11発売)

日本最高の投手がMLB最高の投手に──。全米が驚愕した山本由伸の投球と大谷・佐々木の活躍

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    ドジャースの「救世主」となったロハスの「渾身の一撃」は、キケの一言から生まれた
  • 2
    『プレデター: バッドランド』は良作?駄作?...批評家たちのレビューは「一方に傾いている」
  • 3
    【写真・動画】世界最大のクモの巣
  • 4
    コロンビアに出現した「謎の球体」はUFOか? 地球外…
  • 5
    「不気味すぎる...」カップルの写真に映り込んだ「謎…
  • 6
    中年男性と若い女性が「スタバの限定カップ」を取り…
  • 7
    インスタントラーメンが脳に悪影響? 米研究が示す「…
  • 8
    「座席に体が収まらない...」飛行機で嘆く「身長216c…
  • 9
    レイ・ダリオが語る「米国経済の危険な構造」:生産…
  • 10
    「爆発の瞬間、炎の中に消えた」...UPS機墜落映像が…
  • 1
    「不気味すぎる...」カップルの写真に映り込んだ「謎の存在」がSNSで話題に、その正体とは?
  • 2
    【写真・動画】世界最大のクモの巣
  • 3
    【クイズ】本州で唯一「クマが生息していない県」はどこ?
  • 4
    『プレデター: バッドランド』は良作?駄作?...批評…
  • 5
    「座席に体が収まらない...」飛行機で嘆く「身長216c…
  • 6
    ドジャースの「救世主」となったロハスの「渾身の一…
  • 7
    「遺体は原型をとどめていなかった」 韓国に憧れた2…
  • 8
    筋肉を鍛えるのは「食事法」ではなく「規則」だった.…
  • 9
    「路上でセクハラ」...メキシコ・シェインバウム大統…
  • 10
    クマと遭遇したら何をすべきか――北海道80年の記録が…
  • 1
    【クイズ】本州で唯一「クマが生息していない県」はどこ?
  • 2
    英国で「パブ離れ」が深刻化、閉店ペースが加速...苦肉の策は「日本では当たり前」の方式だった
  • 3
    【クイズ】ヒグマの生息数が「世界で最も多い国」はどこ?
  • 4
    「不気味すぎる...」カップルの写真に映り込んだ「謎…
  • 5
    【写真・動画】世界最大のクモの巣
  • 6
    1000人以上の女性と関係...英アンドルー王子、「称号…
  • 7
    【クイズ】クマ被害が相次ぐが...「熊害」の正しい読…
  • 8
    【クイズ】日本でツキノワグマの出没件数が「最も多…
  • 9
    お腹の脂肪を減らす「8つのヒント」とは?...食事以…
  • 10
    今年、記録的な数の「中国の飲食店」が進出した国
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story
MOOK
ニューズウィーク日本版別冊
ニューズウィーク日本版別冊

好評発売中