理想の医療保険制度はどの国にある?
医療費が払えず自己破産
ドイツとオーストリアでは、医師がストレス軽減のために温泉治療が必要という処方箋を書いてくれれば、1週間のスパ滞在も医療保険で賄える。私がイギリスの医師に同じことが可能かどうかを尋ねると、この医師は話を聞いただけで笑いだした。
だが最も重要な文化的影響は、公的医療保険の根幹に関わる問いに表れている。「誰を保険の対象にするのか」という問いだ。
この点に関する限り、アメリカは自由市場経済と民主主義を奉じる先進諸国の異端児だ。他の主要国は例外なく国民皆保険制、つまり老いも若きも、病人も健常者も、富裕層も貧困層も、先住民も移民も等しく保険で医療を受けられる制度を採用している。一方、世界で最も豊かな最強国アメリカは、全国民を対象とする医療保険制度の導入に背を向け続けてきた唯一の先進国だ。
その結果、どうなったか。政府と民間機関の調査によれば、アメリカでは毎年2万2000人前後が治療可能な病気で命を落とす。原因は医療保険に未加入で、医師にかかる経済的余裕がないからだ。
この悲劇の犠牲者の多くは、メディケイド(低所得者医療保険制度)の対象になるほど貧しくはないが、必要な薬や医療を自力で賄えるほど豊かではない慢性疾患の患者だ。先進国のなかで、こんな事態が起きているのはアメリカだけだ。同様に、医療費の負担が原因の自己破産が続発する先進国もアメリカ以外にはない。
こうした実態は、アメリカが下した倫理上の決断の結果にほかならない。アメリカ以外の豊かな国々は、これとは異なる倫理上の選択をした。その結果が、すべての国民が医療を受けられるようにするというシステムである。
スイスは「連帯」制度を導入
「万人は平等だとあなたたちアメリカ人は言うけれど、それは違う」と、フランスの医師バレリ・ネモンは私に言った。「容姿に恵まれた人もいれば、そうでない人もいる。頭脳明晰な人もいれば、そうでない人もいる。それでも病気になったときは、すべての人を平等に扱う。誰もが等しく医療を受ける権利を持つ。この原則をフランス人はみんな当たり前だと思っている」
比較的最近にこの原則の採用に踏み切ったヨーロッパの国がスイスだ。94年の新制度導入の際にその根拠とされたのが「連帯」という発想だった。
「人々の連帯を深めるためには、すべての人が平等に権利を持つこと、とりわけ医療を受ける権利を平等に持つことが不可欠」だと、パスカル・クシュパン前大統領は説明してくれた。「もし不運にも病に冒されたとしても、質の高い医療が受けられる──そう安心できることは、人間の基本的な欲求だからだ」
ヨーロッパやカナダ、東アジアの民主主義国では、こうした発想が当然のことと考えられているらしい。なぜアメリカ人はそう考えないのかと、どの国へ行っても医療行政の担当者に尋ねられた。
「難しい理屈ではない。すべての国民に医療を受けさせ、その費用をみんなで負担するということ」だと、スウェーデンの高官は言った。「聡明なアメリカ人に、どうしてそれが分からないのか」
アメリカ以外の豊かな民主主義国のほとんどでは、「医療を受ける権利」を何らかの形で憲法で保障している。ヨーロッパの大半の国は、EU(欧州連合)の基本権憲章に署名している。「すべての人は......医療を受ける権利を有する」と、同憲章は規定している。この権利が侵害されれば、裁判を通して権利を回復できる。
ソ連崩壊後に誕生した新しい民主主義国も、「医療を受ける権利」を憲法に盛り込んでいる場合が多い。「国家は(国民の)生きる権利と健康を維持する権利を守り、医療の機会を万人に保障する義務を負う」と、92年に作られたチェコ憲法も定めている。
アメリカでは、合衆国憲法にも州憲法にもその種の規定はない。アメリカ独立宣言にうたわれている「不可侵」な生存権の一貫として、医療を受ける権利を求めて裁判に訴えた人たちもいるが、裁判所がそれを認めたことはない。