コラム

「アラビアのロレンス」より中東で活躍したジャック・フィルビーと、スパイ小説の巨匠ジョン・ル・カレをつなぐ線

2020年12月25日(金)17時15分

ソ連のスパイであった息子を気にかけ、ベイルートのキムを訪ねた

20世紀初頭の中東で活躍した英国人としてジャック・フィルビーを知る人は、少なくとも日本では一部の専門家を除けば、ほとんどいないはずだ。

しかし、実際にはサウジアラビアがアラビア半島の多くの地域を占領するうえで、彼は重要な役割を果たしており、さらにサウジアラビアが石油大国になるきっかけも彼だったといえるかもしれない。

米国のスタンダード石油カリフォルニア(通称ソーカル、現在のシェブロン)がサウジアラビアで石油利権を獲得するうえで、アブドゥルアジーズとのあいだを取り持ったのがフィルビーであった。1936年、ソーカルは米テキサコ社と組んで、アラビアン・アメリカン石油会社を設立した。現在、世界最大の石油会社であるサウジアラムコである。

日本では映画などで有名になった「アラビアのロレンス」こと、T.E.ロレンスが圧倒的に有名で、少女マンガの主人公にもなっているが、歴史的な重要度でいえば、フィルビーの足元にもおよばない。

ソ連のスパイであった息子のキムのことは当然、気にかけていたであろう。キムはスパイ容疑では何とか逮捕は免れたものの、MI6を退職し、特派員としてレバノンの首都ベイルートで働くようになった(そして二重スパイとしての活動も再開)。このときは当然、父の中東におけるコネが役立ったであろう。

1960年9月、ジャックはベイルートのキムを訪ねていた。連日のパーティー三昧で、楽しい日々を過ごしていた。そこではジャックは、若者たちに囲まれ、上機嫌であった。ある夜も、家に戻る途中にナイトクラブにいくといってきかなかったという。だが、翌日、突然苦しみだした。キムは父を緊急入院させたが、すぐに昏睡状態になってしまった。

ジャックは、一度だけ目を覚ましたものの、一言「退屈だ」といってふたたび意識を失い、二度と目を開けることはなかった。ジャック・フィルビー----アラブ世界ではシェイフ・アブダッラーとして知られる----は1960年9月30日、とても退屈とは思えない波乱の人生に幕を閉じた。

ジャックはベイルートで埋葬され、キムは、父の墓碑に「最高のアラビア探検家」と刻んだという。

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プロフィール

保坂修司

日本エネルギー経済研究所理事・中東研究センター長。日本中東学会会長。
慶應義塾大学大学院修士課程修了(東洋史専攻)。在クウェート日本大使館・在サウジアラビア日本大使館専門調査員、中東調査会研究員、近畿大学教授等を経て、現職。早稲田大学客員教授を兼任。専門はペルシア湾岸地域近現代史、中東メディア論。主な著書に『乞食とイスラーム』(筑摩書房)、『新版 オサマ・ビンラディンの生涯と聖戦』(朝日新聞出版)、『イラク戦争と変貌する中東世界』『サイバー・イスラーム――越境する公共圏』(いずれも山川出版社)、『サウジアラビア――変わりゆく石油王国』『ジハード主義――アルカイダからイスラーム国へ』(いずれも岩波書店)など。

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