コラム

レニングラード包囲戦の惨状を音楽で世界に伝えたショスタコーヴィチ

2015年11月25日(水)15時10分

ナチスドイツのレニングラード(サンクトペテルブルグ)包囲戦は市民に多数の犠牲者を出した Paanna-BIGSTOCK

 英語でSaint Petersburg、日本語でサンクトペテルブルクと呼ばれるロシア西部の都市は、かつて何度か名前を変えた。

 現在の名前は、都市を創設した皇帝ピョートル1世が自分と同名の聖人ペテロ(Saint Peter)にちなんで付けたものだ。1914年までは、ロシアの首都として隣接するヨーロッパ諸国との交流が盛んな国際的都市だった。だが、第一次世界大戦でドイツとの交戦が始まると、ドイツ式の呼び名からロシア式の 「Peterograd(ペテログラード)」に変更された。そして1917年の革命で社会主義国になったロシアでは、貴族階級が支配していた歴史への否定的な態度が顕著になり、指導者レーニンが亡くなった後、ペテログラードは「 Leningrad(レニングラード)」と改名された。

 第二次世界大戦後も冷戦中はレニングラードという名前のままだったが、ソビエト連邦が崩壊して初めての大統領選が行われた 1991年に、住民が投票で都市名を「サンクトペテルブルク」に戻した。

 西側のヨーロッパ諸国に近いサンクトペテルブルクは、古くから芸術の中心地でもあった。しかし、要衝であるが故に、この美しい都市は政治や戦争にロシアの他のどの街よりも翻弄された。この都市で生まれ育った作曲家のショスタコーヴィチも、故郷同様に政治と戦争の犠牲者となった。

 ショスタコーヴィチは、第二次世界大戦後の冷戦時代を知る人なら「ソ連のプロパガンダ作曲家」と揶揄されていたのを覚えているかもしれない。だが、ソ連国内では 、彼が戦争中に民主主義国家で高く評価されたために「西寄りの人物」として批判され、国の上層部から抑圧を受けていた。西側メディアは「プロパガンダ作曲家」と決めつけて批判していたが、実はショスタコーヴィチはソ連政府が国民に与える恐怖、屈従、精神的束縛を憎み、恐れながら生きていたのだ。

 ショスタコーヴィチの作品の中で、特に『レニングラード』と呼ばれる「交響曲第7番」がよく知られているが、この交響曲には特別な歴史的背景がある。

 1941年、ナチスドイツ軍はレニングラードを包囲した。連絡路が途絶え、戦火だけでなく、飢餓で多くの市民が亡くなった。路上には死体があふれ、人肉で飢えをしのぐ凄惨な状況になった。1944年に解放されるまで、レニングラードでは60万~100万人の市民が死亡したといわれる。

 このレニングラード包囲戦のさなかにショスタコーヴィチが作曲したのがこの「交響曲第7番」だった。その楽譜は国家機密扱いでスパイによって連合国の手に渡り、ナチスに抵抗する勇敢なレニングラードを応援し、称えるために、世界各地で演奏され、ショスタコーヴィチ自身も全世界で名前を知られることになった。

プロフィール

渡辺由佳里

Yukari Watanabe <Twitter Address https://twitter.com/YukariWatanabe
アメリカ・ボストン在住のエッセイスト、翻訳家。兵庫県生まれ。外資系企業勤務などを経て95年にアメリカに移住。2001年に小説『ノーティアーズ』(新潮社)で小説新潮長篇新人賞受賞。近著に『ベストセラーで読み解く現代アメリカ』(亜紀書房)、『トランプがはじめた21世紀の南北戦争』(晶文社)などがある。翻訳には、レベッカ・ソルニット『それを、真の名で呼ぶならば』(岩波書店)、『グレイトフル・デッドにマーケティングを学ぶ』(日経BP社、日経ビジネス人文庫)、マリア・V スナイダー『毒見師イレーナ』(ハーパーコリンズ)がある。

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