コラム

武田の時代から現代までが混ざり合う甲府を歩く

2019年10月04日(金)15時00分

◆「信玄の墓」と「信玄池」

つつじが崎霊園から武田神社までは徒歩15分ほど。その間に信玄の墓があるので立ち寄ってみた。「墓」という生々しい存在は、遠い歴史上の人物を一気に現実の世界に生きていた人として身近に感じさせる。

武田信玄は三河・野田城を攻めた帰路、体調を悪化させ信濃の伊那で53歳の生涯を閉じたとされる。信玄は、自らの死を政治的・戦略的な理由で3年間秘匿するよう命じ、墓所も秘密にされた。そのため、信玄の墓は、この甲府市岩窪町の墓のほか、葬儀が行われた恵林寺(塩山=現甲州市にある武田家の菩提寺)、諏訪湖(長野県)、高野山(和歌山県)など、全国に複数ある。

岩窪の墓所は武田二十四将の一人、土屋昌続(昌次とも)の邸宅跡にある。信玄は、恵林寺で葬儀を行う前にここで荼毘に付され、埋葬されたとされる。後世の人々はその埋葬地を「魔縁塚」と呼んで、祟(たたり)を恐れて近づかなかったという。そのため、武田氏滅亡後、墓所は草木に埋もれて分からなくなってしまったが、死後200年経った江戸時代になってから、甲府代官・中井清太夫が発掘。「法性院機山信玄大居士」と刻まれた石棺を見つけ、幕府に届け出て信玄公の墓と定められた。

つまり、ここは江戸幕府公認の信玄の墓なのである。墓所に立っている立派な石碑は、発掘時に旧武田家臣たちが建立したものだ。今は生活臭あふれる住宅地の只中のあるが、墓は今も市民によって聖域として大切に守られている。

一方、墓所の少し北に、「信玄池」というため池があった。信玄の時代に作られた灌漑用池とのことで藪をかき分けてほとりまで行ってみた、こちらはよく整備された信玄の墓とは対照的に、今にも現代の俗世間に飲み込まれそうなダークスポットの様相であった。池はぐるりと鉄条網で囲われ、岸辺の草木は手入れされることなく荒れ果てて、水はどんよりと濁っていた。池の奥に人目を忍ぶように建つのは、ラブホテルである。

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武田神社の近くにある甲府市岩窪の武田信玄の墓

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黄土色に淀んだ「信玄池」。背後にひっそりとラブホテルが建つ

◆武田氏居館跡に建つ「武田神社」

武田神社は、かつては武田家の居館「躑躅ヶ崎館(つつじがさきやかた)」であった。正面は堀に囲まれ、神社建築を象徴する朱色の橋を渡ると、今度は戦国時代の城壁をなす石垣が巡らされている。城跡に神道的なものが覆いかぶさっている場所と言えば、真っ先に皇居が浮かぶが、武田家が甲斐国・山梨県の人々にとって半ば神格化された存在であると捉えれば、ここは山梨県民の聖地だという見方もできる。

躑躅ヶ崎館は、信玄の父、信虎によって現在の甲府市街地を見下ろす山裾に建造された。武田家支配の時代は、ここから甲府盆地の中心部に向かって城下町が開かれていった。そして、武田氏滅亡後の豊臣の時代になってからは、南方の平地に新たに甲府城が築かれた。JR甲府駅や県庁がある現在の甲府市中心部は、この甲府城を中心に開けた城下町である。つまり、今の甲府市は躑躅ヶ崎館と甲府城の城下町が合体した複合的な構造を持つ城下町だと言える。

神社の成り立ちを見れば、甲府の人々の武田氏・信玄への尊崇の念がますます見て取れる。躑躅ヶ崎館跡が草むしてかつての面影を失った頃、明治維新により甲斐国は山梨県に生まれ変わった。しかし、明治5年の農民一揆「大小切騒動」(武田氏時代の名残であった甲斐国一円特有の貨幣と米を組み合わせた年貢制度の廃止に対する民衆蜂起)に象徴されるように、山梨県民の武田への帰属意識はまだまだ色濃いものがあった。当初はさまざまな形で県民と明治政府(県庁)の対立が見られたが、やがて政府は全国規模で地域の偉人を崇拝する市民感情を尊重する政策に転換。山梨県では、本連載の笹子峠越えの回(第9回 笹子峠越え 甲州街道の歴史が凝縮した「最大の難所」を歩く」)で紹介した明治天皇巡幸の際に、武田氏ゆかりの寺社の調査・保存のための予算が下賜された。これにより、新政府への親近感と共に武田氏再評価の機運が高まったと言われている。そんな武田氏史跡保存運動(あるいは名誉回復運動)の最後の目玉として、1919年(大正8年)に信玄を祭祀とするその名も「武田神社」が躑躅ヶ崎館跡に建立されたのである。

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信玄を祀る武田神社。信玄のトレードマークである「武田菱」や「風林火山」の意匠に溢れている

◆武田の城下町から大学を挟んで昭和・平成の町へ

武田神社の参道からまっすぐ下っていく道は、その名も「武田通り」。突き当りは、現在の市街中心部のJR甲府駅である。そのほぼ中間点に山梨大学の広いキャンパスがあり、躑躅ヶ崎館の城下町と甲府城の城下町(現在の甲府市中心部)の緩衝地帯になっている。せっかくなので大学の学食で遅い昼食を、と思ってキャンパスに入ってみたが、近頃の学食はランチタイムと夕方からの営業の間に休憩時間があるらしい。昔懐かしい学食ランチはあきらめ、外界からも大学内からも入れるハイブリッドなコンビニに入り、小腹を満たした。

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武田時代の城下町と現代の甲府市街の緩衝地帯となっている山梨大学のキャンパス

山梨大学の周辺はこれまた「武田」という地名で、「武田ハイツ」という学生向けのアパートもあった。このあたりまではかつて武田の家臣の館が並んでいたから、かつての武家屋敷街と現代の学生街の融合を象徴しているようなアパートである。駅が近づくにつれて武田色はしだいに薄まり、自分たちの世代が生きてきた戦後の昭和と平成の名残りが目立ってきた。

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武田の町はかつての武家屋敷街であると同時に現代の学生街だ

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甲府駅が近づくにつれ、商店のショーウィンドウになどに昭和と平成の名残りが強まる

プロフィール

内村コースケ

1970年ビルマ(現ミャンマー)生まれ。外交官だった父の転勤で少年時代をカナダとイギリスで過ごした。早稲田大学第一文学部卒業後、中日新聞の地方支局と社会部で記者を経験。かねてから希望していたカメラマン職に転じ、同東京本社(東京新聞)写真部でアフガン紛争などの撮影に従事した。2005年よりフリーとなり、「書けて撮れる」フォトジャーナリストとして、海外ニュース、帰国子女教育、地方移住、ペット・動物愛護問題などをテーマに執筆・撮影活動をしている。日本写真家協会(JPS)会員

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