武田の時代から現代までが混ざり合う甲府を歩く
◆時間と空間を凝縮した甲府駅北口の風景
今回は、スタートが正午過ぎと遅かったため、甲府駅に着いた頃には夕暮れ時を迎えていた。武田神社側の北口は、2010年以降に再開発された新しいエリアで、江戸時代〜昭和初期の甲府の町並みを再現した「甲州夢小路」が線路沿いに広がる。まさに、武田の時代から現代までの時間軸が複雑に絡み合った甲府という街を凝縮した空間である。
思えば、日本の国土そのものが、時間と空間のごった煮的な様相を呈しているとも言える。日本の風景は同じように歴史あるヨーロッパと比べて、ごちゃごちゃしていて汚いという指摘が多い。それは一面で事実であろう。絵葉書やカレンダーにするような町並みを日本で撮影するのはとても難しい。だからこそ、「甲州夢小路」のような作られた町並みが成立する(パリやベネチアに同様のものができうるか想像してみてほしい)。旧市街と新市街がはっきりと分かれ、文化財の保護が「面」としての町並み全体を意識して行われている欧州と、個別の神社仏閣ごとに「点」で行われている日本の違いだと言えよう。
だからと言って、僕は決して日本を卑下しているわけではない。ことストリート(街頭)スナップ写真を撮るカメラマンの観点から言わせてもらえば、整いすぎた欧州の古都よりも、日本の大都市の方がずっと面白い。この甲府もそうだが、古いものと新しいもの、豊かなものと貧しいものなどが混沌と混ざり合い、融合して一つの都市空間を形成している。写真が風景を「切り取る」性質のものである以上、「面」の広がりを持つ町並みよりも、「点」で雑多なものを分解して捉えられる日本の町の方が、写真家的にはずっとエキサイティングである。
◆人口が一番少ない県庁所在地
駅の南側には甲府城跡の「舞鶴城公園」があり、近隣に県庁と繁華街がある現代の中心市街地が広がる。本丸跡の高台に上りたい気持ちもあったが、日が暮れる前に甲府市街を抜けたかったので先を急いだ。
蓼科高原の自宅から最も近い県庁所在地がこの甲府である。ふだん暮らしている山の中と比べれば大都会なのだが、実は、全国の県庁所在地の中で甲府が最も人口が少ない(約18万9千人)。46位の鳥取市が約19万人でほぼ同規模なのだが、遥か30年以上前に訪れた鳥取駅前は、その頃住んでいた東京の住宅地の私鉄駅前よりずっとこじんまりとして見えた。当時の鳥取は東京との比較、今の甲府は蓼科との比較であることを割り引いても、やはり甲府の方がずっと都会に見えるのはなぜだろう。蓼科から見て反対側にある都会である松本市も、人口約24万人と甲府よりだいぶ多いのだが、僕の感覚では、「都会っぷり」がどうも逆なのである。
こうして甲府盆地を横切って歩いてくると、甲府盆地全体にほぼ切れ目なく市街地が広がっているのが実感できる。つまり、甲府市を中心に10以上の市町村が形成する「甲府都市圏」で捉えれば、人口は60万人余りであり、15位の静岡市と16位の鹿児島市の間に割って入る規模になる。今回は、実は、次回のテーマを考えてゴール地点を予め定めていたのだが、その「昭和町風土伝承館・杉浦醫院」も、中央自動車道の甲府市中心部に最も近い甲府昭和インターのそばにありながら、隣の昭和町に位置する。
そんなわけで、日暮れと共に鉄塔が立ち並ぶ郊外住宅地に突入。都市圏全体でみればそこそこの規模の町の郊外である。人の生活の臭いがしっかりと染み付いた温かみが町全体に広がり、古き良き昭和の記憶と重なる。東京からルートの目安として歩いてきた国道20号と久々に対面したところで甲府昭和インターチェンジを経て、目標地点に到達した。その「昭和町風土伝承館・杉浦醫院」は、武田信玄の戦いと共に、甲府盆地の人々が経験した知られざるもう一つの激戦の記念館である。次回は、その話を中心に、歩みを進めていきたい。
今回の行程:甲斐善光寺 − 昭和町風土伝承館・杉浦醫院(https://yamap.com/activities/4620644)※リンク先に沿道で撮影した全写真・詳細地図あり
・歩行距離=16.7km
・歩行時間=7時間39分
・上り/下り=352m/355m
この筆者のコラム
輝く日本海に新時代の幕開けを予感して 2021.10.04
国石「ヒスイ」が生まれる東西日本の境界を歩く 2021.09.17
旧道からの県境越えで出会った「廃墟・廃道・廃大仏」 2021.08.26
「五輪」の節目に、北アルプスで若者の希望と没落の象徴をみる 2021.08.02
長野五輪の栄光のモニュメントを目指して オリンピック・イヤーに想う日本の未来 2021.06.15
美しい山岳風景、地方からの没落をひしひしと感じる 2021.04.23
『窓ぎわのトットちゃん』の楽園で、「徒歩の旅」の先人に出会う 2021.03.11