韓国の松を育てた日本人がいた 日韓友好の礎となった林業技師・浅川巧とは
巧の意志を継いだ日韓交流
浅川兄弟の功績を契機に、95年には巧の生誕地である山梨県高根町五町田地区の代表が墓参のために韓国を訪問し、彼の生き方を継承するための協力を韓国林業研究院の院長に依頼した。これを機に韓国洪林会(退職者の会)に「浅川巧先生記念事業委員会」が創設される一方、高根町では「浅川伯教・巧兄弟を偲ぶ会」が設立され、交流の輪は次第に広がっていった。
2001年「浅川巧先生七十周忌日韓合同追慕祭」がソウルで行われた際、高根町長が抱川郡(ポチョンぐん)を表敬訪問し正式に姉妹縁組の申し入れがされ、03年3月21日に姉妹結縁盟約書の調印式が行われた。その後、市町村合併を経て、07年11月22日には北杜市と抱川市との間で姉妹結縁盟約書の再調印が交わされた。現在では、両市の間で文化交流事業が活発に行われ、巧が築いた日韓友好の精神が受け継がれている。
巧の半生については、歴史作家・江宮隆之が1995年に発表した『白磁の人』に描かれ、これを原作とした日本映画『道~白磁の人~』(高橋伴明監督)が2012年に公開された。映画制作時には、巧が着用していた形状の眼鏡を日本で見つけることができず、韓国で探したというエピソードも残されている。