ユン大統領罷免を言い渡した憲法裁裁判官は「平均的国民から抜け出さない」と誓い司法人生を終えた
奨学金は社会に返す
ムン・ヒョンベ憲法裁判官の謙虚な人生哲学の背景には、実業家で篤志家のキム・ジャンハ氏(81)の存在がある。貧しい家庭出身のキム・ジャンハ氏は中学校卒業後、漢方薬局の店員として働きながら19歳で漢方薬剤師試験に合格。1963年に自身の漢方薬局を開業し成功を収めた後、1984年に100億ウォン超の私財を投じて慶尚南道晋州市(キョンサンナムドチンジュし)に明新高等学校晋州(チンジュ)を設立し、1991年には国家に寄贈した。
このキム・ジャンハ氏の奨学金を受けた「キム・ジャンハ奨学生」の一人がムン代行だった。彼は高校・大学時代に奨学金を受けており、1986年司法試験合格後、感謝の挨拶をしに行くと、「私に感謝する必要はない。返すつもりなら社会に返せ」と言われたという。2019年の人事聴聞会で、ムン代行は「その言葉の実践を唯一の物差しで生きてきた。裁判官の道を歩きながら憲法の崇高な意志が私たちの社会で正しく貫徹されることに全力を尽くした」と述べた。
自殺未遂の男に「自殺という単語を10回述べよ」と......
慶尚南道昌原(キョンサンナムドチャンウォン)地方裁判所部長判事在職時代(2004年2月~2007年2月)、ムン代行は腐敗・不正事件と控訴事件などを主に扱う第3刑事部裁判長を務めた。社会的弱者に深い関心を示した彼の判決は、厳正でありながらも人間味あふれるものだった。
特に印象的なのは、人生を悲観して自殺を図ろうとした30代男性への対応だ。ムン権限代行は「『自殺』という単語を10回言葉にしてみなさい」と命じ、男性が言葉を繰り返した後、「被告人が詠んだ『自殺』が私たちには『生きよう』に聞こえる。死ななければならない理由を生きなければならない理由として改めて考えてみなさい」と諭し、中国のエッセイ集「生きている間に必ずしなければならない49種類」をプレゼントした。また、裁判の途中で幼い時に別れた生母に会った20代には「愛せよ、一度も傷ついていないように」という本を贈ったこともある。
一方で、公職腐敗・不正と選挙違反に対しては厳正な判決を下し、特に2006年の地方選挙では「事案が重いものには懲役刑を、金品の絡んだ選挙は些細なことでも当選無効に該当する罰金100万ウォン以上を宣告する」という原則を貫いた。同年、昌原地方裁判所が賄賂など腐敗・不正に対する量刑基準を強化した際も、ムン代行がその中心にいた。