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黒海封鎖の失敗とロシア海軍の挫折──中国と手を組むしかない理由

The Geopolitics of Seapower

2025年4月9日(水)10時35分
コリン・フリント(米ユタ州立大学政治学教授)
黒海封鎖の失敗とロシア海軍の挫折──中国と手を組むしかない理由

ロシアの攻撃が続くなか、黒海を航行する貨物船を見守るウクライナ沿岸警備隊の兵士(昨年2月) THOMAS PETERーREUTERS

<ウクライナ戦争のもう一つの戦場、黒海。ロシアは事実上の海上封鎖で制海権を争ったが大敗、遠洋へのアクセスを確保するため中国海軍に頼ることに>

過酷な地上戦と破壊的な空爆に加えて、ウクライナ戦争は当初、海でも戦われていた。ロシアは2022年2月の本格侵攻から間もなく、黒海で事実上の海上封鎖を敷いた。しかし、制海権を争った末に大敗する。

この海上戦が正式に終わりを迎えるかもしれない。


アメリカのトランプ政権が3月25日に発表したところでは、ウクライナとロシアはサウジアラビアで合意された条件の下に、「黒海における安全な航行を確保し、武力行使を排除し、商業船舶の軍事目的による使用を防止する」ことを約束した。

ウクライナ戦争での海上の戦いは、陸と空に比べて関心が集まりにくい。だが実際には世界に大きな影響をもたらすだろう。黒海で敗北したロシアは、世界に海軍力を誇示しにくくなっただけではない。中国との協力関係を強め、しかも公海上では中国の格下の立場に身を置くことになる。

黒海は「密閉」された海域だ。南はトルコ、西はブルガリアとルーマニア、東はジョージア、北はウクライナとロシアと、多くの国にとって近海となる。

黒海マップ

REUTERS

ロシアは14年にクリミア半島を併合し、セバストポリの軍港を掌握した。ウクライナの近海だった部分は事実上、ロシアの近海になった。こうしてロシアはウクライナの貿易、特に遠洋貿易によるアフリカへの穀物輸出を妨害した。

だがロシアの裏をかくように、ルーマニアとブルガリア、トルコが協調して貨物船の近海通過を許可する。おかげでウクライナの穀物輸出船は、ボスポラス海峡から地中海へ出て行くことができた。

軍艦の半数近くを失う

ウクライナは黒海沿岸諸国の近海を通過して、24年第1四半期には月520万〜580万トンの穀物を輸出した。この数字は戦前の約650万トンには及ばないが、ロシア侵攻後の23年夏の約200万トンからはかなり回復している。

このように沿岸諸国の協力があったほか、ロシアはNATO諸国の近海で船舶を攻撃することが招く事態を考えて腰が引けていた。そのためウクライナは遠洋貿易を継続し、経済を支えることができた。

しかもロシアは、ウクライナから直接に海上攻撃を受けた。戦前には軍艦約36隻を数えたロシアの黒海艦隊は、うち約15隻がウクライナ軍の無人攻撃機によって撃沈された。ほかに多数が損壊している。

ロシアはセバストポリを軍港として生かせず、艦隊を黒海の東部に配置せざるを得なくなった。クリミア半島を制圧して近海を掌握しながら、有効に活用できていない。

歴史的にもロシアは海軍力の展開でつまずいたことがあり、そのため近海の防衛に力を入れるようになっていた。

ロシア海軍は1905年、日本海軍に劇的な敗北を喫したが、ここまでの大敗でなくとも昔から何度も制約を受けてきた。第1次大戦では、バルト海でドイツ商船の、黒海でトルコの経済・軍事上の進出を抑止するために英海軍との協力が必要だった。

第2次大戦では連合国側の支援物質に依存した。バルト海と黒海の港湾から先はおおむね海上封鎖され、多くの艦船が帰還。ドイツとの領土争いで洋上支援に回ったり、艦載砲を撤去されて地上戦に使われたりした。

冷戦期のソ連は高速ミサイル艇や空母を建造したが、遠洋への進出は潜水艦に頼った。ソ連の地中海艦隊の主な目的は、NATO諸国が黒海に侵入するのを防ぐことにあった。

そして今、ロシアは黒海の支配権を失った。その結果としてロシアは、中国と協力しない限り遠洋には展開できなくなった。

中ロ両国は昨年7月、南シナ海で海軍合同演習に臨んだ。中国人民解放軍南部戦区海軍の王光正は、この演習は「多方面・多分野にわたる両国の実践的な協力関係を促進した。両国が海洋安全保障の脅威に合同で対応する能力を大きく高めた」と言う。

中ロは海軍力を誇示して、それぞれに利益を得た。ただし、中国の利益のほうがはるかに大きい。

ロシアは中国の北方近海の防衛を支援し、北極海を通じて遠洋へのアクセスを確保することも後押しできる(気候変動によって北極海は氷に閉ざされただけの海域ではなくなり、重要性が高まっている)。ただ、その場合もロシアは格下のパートナーだ。

協力の主導権は中国に

ロシアの戦略的利益は、中国の利益と一致する場合にしか実現しない。中国はおそらくロシアを利用し、アフリカ、太平洋地域、欧州、南米への経済進出を確実にしようとする。その利益をロシアの目標のために危険にさらすことはなさそうだ。

確かにロシアは、特に遠く離れたサヘル地域(サハラ砂漠周辺の乾燥した地域)やサハラ以南のアフリカに経済的利益を持っている。アフリカにおける利益を確保することは、インド洋における中国の海軍プレゼンス拡大を補完し、自国の、そしてより大きな経済的利益を確保することにつながる。だが、その際の協力は依然として中国の要請によるものだ。

ウクライナ戦争の大部分において、ロシアは黒海近海に閉じ込められてきた。その海軍力を遠方の海に投射する唯一の道は、アフリカとインド洋へのアクセスを通じてだった。そのときも、ロシアは中国の格下のパートナーであり、中国が条件を決定していた。

ウクライナとの海上停戦が成立しても、ロシアが単独では海軍力を発揮できないという現状は変わらないだろう。

The Conversation

Colin Flint, Distinguished Professor of Political Science, Utah State University

This article is republished from The Conversation under a Creative Commons license. Read the original article.


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