アサドが消えても混乱続く...シリア国民が考える、復興に必要なもの
THE AFTERMATH OF A TRAGEDY

解放後、シリア各地で見られるようになった行方不明者を捜す写真(ダマスカス) PHOTOGRAPHS BY MEGUMI ITO
<拷問の恐怖で国を支配したアサド政権が崩壊して3カ月。各地で衝突も続く中、国民は何を感じているのか>
シリアの首都ダマスカスの街は街路樹がよく育ち、家の庭には草木や花がのぞく。そんな緑あふれる地区に、その施設はひっそりとたたずんでいた。門の先に駐車場が広がり、その向かいにコの字形の集合住宅のような建物が続いている。しかし、この場所の本当の姿は、穏やかな日常とは正反対だ。ここは、バシャル・アサド大統領の政権下で政治活動を理由に捕まった人たちが、死に至る拷問を受けていた軍事情報部の収容所だった。
昨年12月8日、アサド政権が崩壊した。2011年から14年近く内戦が続いたシリアのアサド政権は、化学兵器の使用のため国連で制裁決議案が出される世界でも最悪の独裁国家の1つだった。ここ数年はシリアの広い地域を支配していたが、政権を支えていたロシアやレバノンのイスラム教シーア派組織ヒズボラの勢力が弱まり、反体制派勢力が一気に攻勢をかけると、あっさり崩壊した。
2月24、25日に地域や宗教団体の代表が参加し、新しい国家の在り方を議論する「国民対話会議」が開催され、3月10日には衝突していたクルド人武装勢力を国家機関に統合する合意もできた。だが3月初めには、沿岸部ラタキア郊外などでアサド前政権を支持する武装勢力と暫定政権の治安部隊が衝突し、人権団体によれば、民間人を含む1500人以上が死亡した。
アサド政権とは一体何だったのか。新しく出発したシリアでは一体何が起き、人々は何を求めているのか。政権崩壊後のシリアで12月下旬から1月にわたって取材した(本文では取材対象者の安全を考慮し匿名)。