ジャンマリ・ルペン死去──極右の影響がフランス主流政治に溶け込むまで
From Extreme to Mainstream
ジャンマリ・ルペン REUTERS/Philippe Wojazer
<国民戦線創設者ルぺンが死去。その主張は今やマクロンにも取り込まれて......>
フランスの極右政治の主流化がほぼ完了したようにみえるタイミングで、かつて国民戦線と呼ばれた極右政党の創設者、ジャンマリ・ルペンが1月7日に96歳で死亡した。現役時代はフランス政治の悪魔とされてきたが、その党は今や、後継者である娘の下で権力の座を目前にしている。
1956年に国民議会(下院)議員に初当選したルペンは、たちまち極右の「顔」になった。72年に国民戦線の初代党首に就任。各種の弱小極右団体を統合すべく、国民戦線結成に動いた人々の中で党首に選ばれたのは、急進度が最も低いと評されたためだ。
もっとも、仲間内でより穏健だったというだけだ。自身の出版社からナチス歌曲のレコードを発表し、69年には戦争犯罪擁護で有罪判決を受けた。第2次大戦中のフランスの親独ビシー政権を懐かしむ発言も繰り返した。
その政治の核にあったのは人種差別だ。ただし、主流派による受容を目指す過程で、この核は反移民的懸念や愛国的プライド、さらには女性の権利やフランス世俗主義体制をイスラム教から守るという建前の裏に隠されていった。
80年代半ばまで知名度の低さに悩んでいた国民戦線が全国的にブレイクしたのは、81年に就任したフランソワ・ミッテラン大統領のおかげだ。社会党党首のミッテランは、財政危機を受けて緊縮路線に転換。支持率が低下するなか、中道寄りの右派を抑え込む意図もあって、国民戦線を後押しした。
本物の衝撃が訪れたのは、2002年大統領選でルペンが決選投票に残ったときだ。とはいえこれも、国民戦線の「不可抗的台頭」ではなく、フランスの政治と民主主義の現実が招いた結果だった。
フランスの暗い選択肢
ニコラ・サルコジが当選した07年大統領選も同様だ。ルペンの失墜と主流派の勝利の象徴とされるが、実際にはサルコジが自身をルペンに代わる候補に据え、極右支持者の票を大きく吸い上げていた。
この状況は、11年の娘マリーヌ・ルペンへの指導者交代を挟んで悪化を続けた。18年に党名を国民連合に変更した彼女は、15年にはユダヤ人差別的発言を看過できないとして党から父親を除名。その頃、既にサルコジは国民戦線の主張の多くを主流化していた。
だが、極右打倒のために極右的主張を取り込む手法に誰より熱心なのは、エマニュエル・マクロン現大統領だろう。マクロンが任命したジェラルド・ダルマナン内相(当時)が21年、「イスラムに弱腰すぎる」とマリーヌ・ルペンを非難したのがいい例だ。
マリーヌは政治生命に打撃を受けかねない汚職裁判の渦中にあるものの、今や事実上のキングメーカーと見受けられる。国民議会では、いずれの政党も過半数議席を獲得しておらず、国民連合がマクロン政権の生き残りのキャスチングボートを握っている。
極右の台頭はあらがえない流れだと、主流派エリートたちは受け入れたようだ。ならば、残る選択は1つ。極右政治を任せるのは極右勢力か、主流派の政治家か──。
極右の脅威と抜本的変革の必要性を深刻に受け止めない限り、フランスは「悪いもの」と「より悪いもの」のどちらかを選ぶしかない。
Aurelien Mondon, Senior Lecturer in Politics, University of Bath
This article is republished from The Conversation under a Creative Commons license. Read the original article.
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