42の日本の凶悪事件を「生んだ家」を丁寧に取材...和歌山カレー事件に関しても注目の記述が
「(前略)もう船は一回沖でたら、一千万円、二千万円の売り上げですからね。網獲り専門やったから、当時バブルが崩壊する前やから、一匹獲ったら三万か四万で料亭がなんぼでも買い取るんですよ。そりゃもうすごい金でしたよ」
豪快な漁師たちの生活ぶりが伝わってくるエピソードだ。稼いだ金は、そのまま使い切る、漁師気質はやはり命がけの現場に生きることから生まれてくるのだろう。そもそも漁船の安全が確保されたのも戦後しばらく経ってからのことだ。櫓を使った人力の時代から漁師たちは自分の経験とカンだけを頼りに危険な海と向かいあってきた。漁師の生き様は当然、定期収入を得られるサラリーマンとは違ったものになる。(138ページより)
つまり眞須美死刑囚も、命を賭けて仕事に臨む父親の豪快な生き様を日常的に見ながら育ったということである。
高度経済成長期以降日本人の中に埋め込まれている一億総中流の意識とは相容れない価値観の中で生きてきたのだ。(138ページより)
そうした環境にいたのだから、カレー事件の現場となった園部地区の住民との間に軋轢が生じたとしても無理はない。のどかで閑静な住宅地と、眞須美死刑囚の生まれ育った集落とは別世界。そもそも気質も価値観も大きく異なるのだ。
そのため、保険金詐欺で生活の糧を得て、外車を乗り回し、昼間から麻雀大会をしたりしていた林家は、閑静な新興住宅地内では必然的に目立ってしまっていた。
どちらが正しくてどちらが間違っているという話ではなく、環境の違いとはそういうものだ。
「陰でこそこそヒ素盛って...。それはないやろうと思った」
また、上記のエピソードに顕著な金銭感覚も、注目に値する点だといえよう。眞須美死刑囚がカレー事件について一貫して否認し続けていることについて健治さんはしばしば「眞須美は金にならんことはやらん」との発言をしているが、その価値観は父親の金銭感覚を受け継いだものなのだ。
「まさか人にごたごた言われて、陰でこそこそヒ素盛って、そんなこそくなとこやないですよ。もうその場で喧嘩ですよ。生まれ育ったところでは、だからその最初の動機が解せなかったんやね。近所のもんに言われて激昂して、そんでこそこそ意趣返して、それはないやろうと思ったんですよ。だから裁判官もその動機は否定しましたけどね。事件の前から、近所で犬が殺されたりとか、たんぼに毒流されて一年間米が穫れなんかったり、そういうことがあったんですよ。ワシらが引っ越して来る前に、そういうヤツが園部にうろうろしているのに、保険金詐欺が出てきたんでこっちが犯人にされたんですよ。死刑が確定して再審にかけるって言うたって、その再審でも三〇年、四〇年っていう月日がかかってですね。やっと無罪を勝ち取ったっていうたって、僕はもうこの世におるやらおらんやら分からんやろうし、もう一言で言うたら、『おそらく嫁はんはもう二度と帰ってこんのやなぁ』って言う。そう思うたね」(139ページより)