イスラム教の問題作『悪魔の詩』の作家が自叙伝を発表「自由という理想の火を消してはいけない」
SALMAN RUSHDIE’S NEXT ACT
『ナイフ』には、著者が自身を襲った男と想像上の対話をする箇所がある。そこで男は、ラシュディにこう告げている。「おまえは世界中で20億の民に憎まれている......おまえは虫けらで、俺たちに踏みつぶされる運命だ」
ラシュディにとって不本意だったのは、『悪魔の詩』を最初に発禁処分にしたのが自身の生まれたインドだったこと、そして22年に襲撃された事件について、ヒンドゥー至上主義のインド政府がこれといった発言をしなかったことだ。もちろんラシュディも、インドのナレンドラ・モディ首相の政治を評価する発言は一切行っていないのだが。
ラシュディは2000年に渡米した。「生命、自由、幸福の追求」を望んだからだ。ニューヨークに来た当初は苦労したものの、その後は成功した。ラシュディに近づくのを尻込みする人もいたが、ためらいを断ち切る唯一の方法があるとすれば、自分が何も恐れていないかのように振る舞うことだとラシュディは考えた。
怖がる必要は何もないと相手に示すためだった。やがてラシュディはギャラリーやパーティーに、レストランや公園にも姿を見せるようになった。そして自由のために声を上げ続けた。
老いても、刺されても
その後、ラシュディは妻の愛情を通じて幸福を見つけ出した。だが幸福について書くのはたやすいことではない。ラシュディは仏作家アンリ・ド・モンテルランの言葉を引用している。
「幸福とは、白いページに白いインクで書かれるものだ」
ラシュディは新著『ナイフ』で、家族や親しい友人たちからの特別な愛情や、医療従事者による手厚い治療のおかげで手にした「時間」という贈り物をどう使えばいいのかと自問している。
彼としては自分本来の姿、つまり書斎に籠もって物語を紡ぎ出す作家であり続けたいと思っている。以前は、あの事件のことは書きたくなかった。しかし、気が変わった。なぜか。
「書けば、あの日の出来事を自分のものにできるからだ。単なる犠牲者であることを拒むことができる。暴力には小説で応える。それが私の流儀だ」
憎しみよりも愛、偽りよりも真実、妄信よりも疑念、従順よりも反抗、雑音よりも芸術。彼のそういう信念は決して揺るがない。
三人称で書かれた自叙伝『ジョセフ・アントン』は、あのファトワを宣告された自分から一歩離れて、他者の目で己を見つめるような作風だった。しかし今度の『ナイフ』は堂々と一人称で通した。
ラシュディはマンガ通でもある。初めてソーシャルメディアに参加したときは、偉大な「ポパイ」に敬意を表して “I yam what I yam”(おいらはおいら)と書き込んでいる。そう、ラシュディはラシュディ。老いても、刺されても。