最新記事
自叙伝

イスラム教の問題作『悪魔の詩』の作家が自叙伝を発表「自由という理想の火を消してはいけない」

SALMAN RUSHDIE’S NEXT ACT

2024年8月29日(木)14時50分
サリル・トリパティ(ジャーナリスト、作家)
作家サルマン・ラシュディが新作『ナイフ』で事件を振り返る

※画像はイメージです Skrypnykov Dmytro - shutterstock -

<ホメイニから殺害予告を受けて、33年後、実際に襲撃された作家サルマン・ラシュディ。彼が新作『ナイフ』で事件を振り返る>

作家サルマン・ラシュディが狂信的な男に襲われたのは、イランの最高指導者ルホラ・ホメイニ師(当時)がラシュディに死刑を宣告するファトワ(宗教令)を出してから33年のある日のことだった。

実行犯は、そのファトワの発端となったラシュディの著書『悪魔の詩』を読んでいなかった。ホメイニも読んでいなかった。当時のホメイニはイラン・イラク戦争の屈辱的な結末にいら立ち、国民の不満が自分に向かうのを防ぐために、わざと『悪魔の詩』を反イスラムの書に仕立てた。それだけのことだ。


2022年8月12日、ラシュディはニューヨーク州西部の保養地シャトークアで開かれた文学祭に参加していた。共に壇上にいたのはヘンリー・リース。さまざまな迫害から逃れてきた作家たちを守り、彼らが自由に書ける環境を提供する非営利団体「シティ・オブ・アサイラム」(本部ペンシルベニア州ピッツバーグ)の創設者だ。

たった27秒の間に──シェークスピアの14行詩を一つ読める程度の時間だと、新しい自叙伝『ナイフ』(未邦訳)でラシュデイは書いている──その男(あえて男の名を記していない)はラシュディに襲いかかり、ナイフを何度も突き刺し、左手の腱と神経を切断した。

ラシュディは倒れたが、意識はあった。死なずに済んだのは勇敢なリース(彼も殴られて負傷した)と現場に居合わせた医師、救急隊員のおかげだ。

健康の回復には長い時間がかかり、今までどおりの暮らしはできなくなった。ナイフはラシュディの右目を貫き、視神経を破壊した。首も、他の臓器も刺されたが、命取りになる動脈や静脈は無事だった──この男が殺しのプロではなかった証拠だ。

思想信条ゆえに人が殺されるなんてことは許せない。その信念を貫いて、ラシュディは生きてきた。

政治家であれ宗教家であれ、権力を乱用する者には従わず、愚直なまでに言論の自由を掲げてきた。想像し、考え、書き、疑い、反論し、挑戦する自由。自分の意思を貫き、理屈抜きで、笑い、嘲り、喜び、祝う自由。それを守るのが彼の思考と仕事、そして生きざまだ。

暴力に屈しない反抗の精神

後に自分と深く対立することになる人々の言動をも、ラシュディは擁護してきた。自分の不幸を願う人々にも、その自由があると信じてきた。気が付けば彼は有名人になっていたが、売名行為とは無縁だ。

そして自由という理想の火を消してはいけない(なにしろ闇の勢力は常にそれを消したがっているから)、そのために戦い続けてこそ自由は守れると説いてきた。2012年に出した最初の自叙伝『ジョセフ・アントン』では、あえて自分を三人称で書いた。自由を守るのは命懸けの闘いだと知っていたからだ。

あわせて読みたい
ニュース速報

ビジネス

アングル:中国輸出企業、ドル保有拡大などでリスク軽

ワールド

中国、日本などをビザ免除対象に追加 11月30日か

ワールド

政府、総合経済対策を閣議決定 事業規模39兆円

ビジネス

英小売売上高、10月は前月比-0.7% 予算案発表
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:超解説 トランプ2.0
特集:超解説 トランプ2.0
2024年11月26日号(11/19発売)

電光石火の閣僚人事で世界に先制パンチ。第2次トランプ政権で次に起きること

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    寿命が延びる、3つのシンプルな習慣
  • 2
    日本人はホームレスをどう見ているのか? ルポに対する中国人と日本人の反応が違う
  • 3
    「1年後の体力がまったく変わる」日常生活を自然に筋トレに変える7つのヒント
  • 4
    Netflix「打ち切り病」の闇...効率が命、ファンの熱…
  • 5
    北朝鮮は、ロシアに派遣した兵士の「生還を望んでい…
  • 6
    NewJeans生みの親ミン・ヒジン、インスタフォローをす…
  • 7
    元幼稚園教諭の女性兵士がロシアの巡航ミサイル「Kh-…
  • 8
    【ヨルダン王室】生後3カ月のイマン王女、早くもサッ…
  • 9
    プーチンはもう2週間行方不明!? クレムリン公式「動…
  • 10
    朝食で老化が早まる可能性...研究者が「超加工食品」…
  • 1
    朝食で老化が早まる可能性...研究者が「超加工食品」に警鐘【最新研究】
  • 2
    自分は「純粋な韓国人」と信じていた女性が、DNA検査を受けたら...衝撃的な結果に「謎が解けた」
  • 3
    「会見拒否」で自滅する松本人志を吉本興業が「切り捨てる」しかない理由
  • 4
    北朝鮮兵が「下品なビデオ」を見ている...ロシア軍参…
  • 5
    朝鮮戦争に従軍のアメリカ人が写した「75年前の韓国…
  • 6
    日本人はホームレスをどう見ているのか? ルポに対す…
  • 7
    アインシュタイン理論にズレ? 宇宙膨張が示す新たな…
  • 8
    クルスク州の戦場はロシア兵の「肉挽き機」に...ロシ…
  • 9
    沖縄ではマーガリンを「バター」と呼び、味噌汁はも…
  • 10
    寿命が延びる、3つのシンプルな習慣
  • 1
    朝食で老化が早まる可能性...研究者が「超加工食品」に警鐘【最新研究】
  • 2
    北朝鮮兵が「下品なビデオ」を見ている...ロシア軍参加で「ネットの自由」を得た兵士が見ていた動画とは?
  • 3
    外来種の巨大ビルマニシキヘビが、シカを捕食...大きな身体を「丸呑み」する衝撃シーンの撮影に成功
  • 4
    朝鮮戦争に従軍のアメリカ人が写した「75年前の韓国…
  • 5
    自分は「純粋な韓国人」と信じていた女性が、DNA検査…
  • 6
    北朝鮮兵が味方のロシア兵に発砲して2人死亡!? ウク…
  • 7
    「会見拒否」で自滅する松本人志を吉本興業が「切り…
  • 8
    足跡が見つかることさえ珍しい...「超希少」だが「大…
  • 9
    モスクワで高層ビルより高い「糞水(ふんすい)」噴…
  • 10
    ロシア陣地で大胆攻撃、集中砲火にも屈せず...M2ブラ…
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story
MOOK
ニューズウィーク日本版別冊
ニューズウィーク日本版別冊

好評発売中