ほっとして隣を見たら「顔が半分ない死体」が...今も「戦地ウクライナ」に残る日本人たち、それぞれの物語
JAPANESE IN UKRAINE
安定を捨てて戦場へ
開戦後、ウクライナに渡った日本人には、日本での安定した暮らしを捨てて、あえて戦地に行くことを選んだ人が多い。24年3月にザポリッジャで取材したジョージア軍団(編集部注:ジョージア人義勇兵で構成された部隊)所属の日本人義勇兵、渡辺さん(仮名)もその1人だ。
20代後半、中部地方出身で元自衛官の渡辺さんは23年11月にウクライナ入りした。自衛隊にいた時は工兵だったが、今は歩兵としてジョージア軍団に所属している。自衛隊を除隊した後は食品会社に勤め、不安もリスクもない生活を送っていた。
「訓練経験のない人がそのまま前線に送られているというニュースを見て、経験のある自分が行くことで少しでも助けになればと思いました」と、渡辺さんは言う。「自衛隊で得た知識と訓練経験が役に立つのなら、どんなリスクがあっても問題ない」
まず日本にいる時にSNSで情報収集し、2つの部隊とビデオ面談した。1つは英語力不足で断られたが、1つは参加を認められ、23年11月にウクライナへ。しかし、その部隊は健康診断で眼鏡の使用を理由に渡辺さんを不採用にした。
ボランティアをしながら情報収集をしたが、なかなか思うような情報が得られず、キーウにあるジョージア軍団の基地に直接行き、入隊を志願した。英語で交渉して自衛隊の在籍証明書を見せるととんとん拍子に話が進み、12月には北東部の前線に派遣された。
最初に前線での任務に就いた時は、それほど怖いとも思わなかった。ただ4回目ぐらいの任務で、近くにミサイルが着弾する音を聞いた時は、無意識に手が震えた。ものすごい爆発音がしてかなり揺れ、本来自分たちがいる塹壕の近くにぽっかりと1メートルくらいの穴が開いていた。
渡辺さんは家族や周囲の友達には変に心配をかけたくないので、「1年間ボランティアに行く」とだけ伝えてウクライナにやって来た。戦争が終わったら日本に帰り、自衛官の友人などに自分の経験を伝えたいと思っている。「兵士として実戦経験があるのとないのとでは、大きく違う。自分の経験を基に何が必要か、どのようなメンタリティーが求められるかを共有したい」からだ。