「最期まで諦めない」ナワリヌイだけではない、ロシアの反体制派に受け継がれる信念
It Wasn’t Just “Courage”
英雄たちの後継者として
そして今、ある意味で10年前には思いもしなかったことが明らかになった。
時代や当時の反体制派との違いはあるが、ナワリヌイは精神的英雄たちの後継者なのだ。
彼らのように勇敢だというだけではない。
ナワリヌイもまた、より安全な選択肢が存在するにもかかわらず、自分がしていることを唯一の選択肢として語っていた。
ロシアの反体制派の伝統を受け継いでいるのは、ナワリヌイだけではない。
昨年4月に禁錮25年を言い渡されたジャーナリストで反体制活動家のウラジーミル・カラムルザは、ソ連時代の政治的抑圧の犠牲者を悼む「政治犯の日」にちなんで「10月30日財団」を設立し、現代の政治犯の家族を支援している。
13年に死去した詩人のナタリア・ゴルバネフスカヤのことは、ナワリヌイもNYTのインタビューで言及している。
彼女は1968年にソ連主導のチェコスロバキア侵攻に抗議して、赤の広場で数人の仲間と共に、「あなたたちと私たちの自由のために」などの横断幕を掲げた。
69年に逮捕された際は、刑務所の精神科病棟に送られて拷問を受けた。
「チェコとスロバキアの人々のために、というのは2番目の理由だった」と、ゴルバネフスカヤは12年にパリの自宅で振り返った。
「私たちは何よりもまず、自分のために抗議を行った」。人間は人間らしくあらねばならないのだからと、彼女は説明した。
共に赤の広場に立ったウラジーミル・ドレムリュウガも、同様の思いを口にした。
「物心ついてからずっと、私は市民でありたいと願っていた。市民というのは、思うところを堂々と冷静に表現する人間のことだ。赤の広場に立ったあの10分間、私は市民だった。一緒に抗議を表明する人がいてくれてうれしかった」
活動家の夫ボリスに先立たれたリュドミラ・バイルは、13年にデンマークの首都コペンハーゲンで「活動家たちは赤の広場で思いを遂げられたかって?」と、私に問いかけた。
「答えはノー。でも彼らは彼らにできることをした。やらなれけばならないと思うことをした」
NYTのインタビューで、ナワリヌイはソ連時代の活動家にはできなかったやり方で体制を変えたいと述べた。
だが彼の書いた文章、発した言葉には、先人と同様に勇気だけでなく祖国と良心に対する責任感がうかがえる。
13年には週刊誌ノーボエ・ブレーミャ(新時代)に寄稿し、こうつづった。
「私は自分がしてきたことを高く評価しており、投獄が迫っているからといって立場を変えるつもりはない。私は自分でこの道を選び、信頼してくれる人々に対して責任を引き受けた。何が待ち受けているかは分かっていた」