「最期まで諦めない」ナワリヌイだけではない、ロシアの反体制派に受け継がれる信念
It Wasn’t Just “Courage”
妻(右)や支持者と共にモスクワ市長選の立候補の届け出に向かうナワリヌイ(2013年7月) GRIGORY DUKORーREUTERS
<ナワリヌイが命を懸けて示した信念を行動で示し続ける勇気。それは、ソ連時代から受け継がれる反体制派によるレジスタンスのレガシーだった>
ロシアの刑務所当局は2月16日、収監されていた反汚職・反政権活動家のアレクセイ・ナワリヌイが死亡したと発表した。
翌日には彼の広報担当者が情報を確認したと認め、殺害されたと訴えた。
ナワリヌイの死は、プーチン政権にとって失敗を挽回する結果となった。
ナワリヌイは2020年8月に毒殺されかけたが生き延びた(その後、自らロシア当局者になりすまして諜報部員に電話をかけ、暗殺未遂の経緯を「報告」させた)。
ドイツで治療を受けた後、ナワリヌイはロシアに戻ることを決めた。
それはすなわち、投獄され、おそらく殺されることを覚悟していた。実際、21年1月に首都モスクワに到着すると同時に拘束され、そのまま刑務所に収監された。
今年1月にナワリヌイはフェイスブックの投稿で、帰国の決断について次のように説明した。
「自分の国も自分の信念も諦めたくなかった。どちらも裏切ることはできない。自分の信念に価値があるのなら、そのために立ち上がらなければならない。必要なら多少の犠牲もいとわない」
彼の決断と、その明確な理由は、彼が類いまれな人物だというだけでなく、ロシアのレジスタンスの歴史を受け継いでいる証しだ。
ナワリヌイは先人たちと同じように、勇気だけでなく信念から行動した。
自分の行為が唯一の選択肢だという信念の下、その選択の代償が次第に大きくなっても、信念を繰り返し行動で示した。
私はナワリヌイに直接、会ったことはない。しかし、今から10年前に、旧ソ連の人権派の反体制活動家にインタビューをしたことがある。
少人数だが重要なグループで、地下の著作や地上での抗議活動を通じ、自国の政府に自国の法律に対する説明責任を果たさせようとしていた。
私が取材で理解しようと努めたことの1つは、彼らがそのような選択をできる理由だった。
代償として刑務所の精神科病棟や強制労働収容所に送られ、体制を変えられる可能性があまりに低くても、どうして表に出て抗議活動をしようと決意できたのか。
ナワリヌイは13年にニューヨーク・タイムズ(NYT)のインタビューで次のように質問された。
「旧ソ連の反体制派には、闘うために自らを犠牲にする覚悟が常に見えたが、あなたは常に楽観的で、自分は勝てると思っているように見える。今も自信があるのか、それとも変わったか」
彼はこう答えている。
「反体制派は精神的に強靭な英雄だった。ソ連時代は、赤の広場でポスターを掲げれば必ず刑務所行き、それしかあり得なかった。ソ連がいつかは崩壊するだろうと理解はしていたかもしれないが、彼らの具体的な行動が影響を与えるとは、誰も思っていなかった」
「私を支持する人は大勢いて、私たちが勝つと確信している。間違いない。比較的短期間で起きるだろう。しかしそれが2年後にせよ22年後にせよ、私たちは闘わなければならない。私をソ連時代の反体制派と比べるのは大げさだよ」