「くまのプーさん」だけじゃない習近平のあだ名、その数546種類。「包子」「小学博士」「2-4-2」...
WHAT’S IN A NAME
最高権力者が過度に侮蔑の対象になると……(ドイツの祭りの山車) KAI PFAFFENBACHーREUTERS
<中国人が最高権力者をあだ名で呼ぶことは珍しいが、習近平だけは例外。あだ名に込められた意味を知れば、習と中国の行く末が見えてくるかもしれない>
中国人はあだ名を付けるのが大好きだ。けれども、敬意ゆえか恐怖ゆえか(おそらく恐怖のほうが大きいだろう)国の最高権力者をあだ名で呼ぶことは珍しい。
毛沢東のあだ名として知られているのは、中国共産党と当時敵対関係にあった国民党の支持者が用いた「毛賊」というものだけ。2代前の最高権力者である江沢民のあだ名も「蛤蟆」(ガマガエル)だけだった。
その点、習近平(シー・チンピン)のあだ名の数は桁違いだ。ニュースサイト「チャイナ・デジタル・タイムズ」によれば、2022年半ばの時点であだ名の数は546種類に上っている。ことごとく不名誉な呼称だ(それに比べれば、西側諸国で広まっている「くまのプーさん」はずいぶん穏健な呼称と言える)。それらのあだ名は大きく6つのカテゴリーに分類できる。
第1は、習への侮蔑の気持ちを表現したあだ名。「包子(パオズ)」(肉まん)は、北京の肉まん店を訪れた習の様子が大きく報じられたことをきっかけに広まったものだが、そこには「土包子(トゥーパオズ)」(田舎者)を揶揄するニュアンスも込められている。
「小学博士」は、王朝時代の中国で最高レベルの学者に与えられた尊称である「太学博士」にかけた言葉遊びで、習が中学と高校を卒業してないことを当てこすったあだ名だ。
第2は、演説原稿の中の慣用句を正しく読めないことを皮肉るもの。「通商寛衣」は、演説で「通商寛農」という言葉(交易を促進して、農家への課税を減らすという意味)を読み間違えたことに由来する。中国の簡体字では「農」を「农」と書くため誤読したのだろうが、「寛衣」では、裸になるという意味になってしまう。
第3は、習をコケにするもの。「二百斤」は文化大革命の時代に農村に下放されたときに、200斤(100キロ)の穀物を背負って山道を5キロ歩き続けたと自慢したことをネタにした。
第4は、軽く呪いをかけるようなもの。「翠」というあだ名はその1つだ。翠という漢字は2つの「羽」と「卒」で構成されていて、「習死す」と読むことができる。
第5は、明確な悪意によるもの(中国の国内で用いるのは危険だ)。「習特拉」は、中国語の発音が同じナチス・ドイツの独裁者ヒトラー(希特拉)にかけたものだ。