最期まで真のヨーロッパ人だった「米外交の重鎮」...「複雑なリアリスト」キッシンジャーが逝く
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一方で72年には、ソ連と中国の関係が冷え込んでいると踏んで、一気に中国との和解に動いた。これがソ連との戦争回避に役立ったと評する向きもある。当時のアメリカはベトナム戦争で世論が分断され、混乱を極めていた。
米中接近は、等しくリアリストの大統領ニクソンと組んでこその快挙だった。両人とも、共産主義は一枚岩だという見解やドミノ理論(一国が共産化すると周辺国も将棋倒しのように共産化するという考え方)には早くから背を向けていた。
グーエンの2020年の著書『悲劇の必然性──ヘンリー・キッシンジャーとその世界』によれば、「共産主義は一枚岩という考えを捨てた以上、レアルポリティーク派の2人にとって、反目し合う共産主義国の仲を引き裂くこと以上に賢明な政策はなかった」のである。
「アメリカの勝利」にも懐疑的
「結局のところ、デタントを促したのはベトナム戦争だった」と指摘するのは、米ジョージタウン大学のチャールズ・カプチャン教授だ。
「東西冷戦に関しては、キッシンジャーもニクソンも戦線の縮小と緊張の緩和が必要と考えていた。そして見事に、中国を敵の陣営から除外した」
カプチャンはこうも言う。「キッシンジャーには他の要人に欠けている戦略的思考があった。私見だが、アメリカには政策が多すぎて戦略が足りないという問題があった。キッシンジャーはそれを逆転させた」
キッシンジャーには人間的な魅力とユーモアのセンスもあり、歴史に精通していた。そして交渉相手が独裁者でも、その悪行にはあえて目をつぶる才があった。
アイザックソンによれば、キッシンジャーが最も評価していた外国の首脳は中国首相の周恩来と、イスラエルとの会談に意欲的だったエジプト大統領のアンワル・サダトだ。
74年の最初のシャトル外交でエジプトに出向いたとき、サダトは大統領別邸の庭園にキッシンジャーを招き入れ、「マンゴーの木の下でキスをした」とアイザックソンは書く。
驚くキッシンジャーに、サダトは「あなたは単なる友人ではない、兄弟だ」と告げた。キッシンジャーは後に、記者団に冗談めかして言ったものだ。
「イスラエル人を厚遇しないのは、私にキスをしないからだ」