「NASAに履歴書を11回送り続けた」...貧しい移民労働者の子がつかんだ「宇宙飛行士の夢」
The Superpower of Perseverance
そのとき私は宙に浮かびながら、自らの能力を疑う気持ちに打ち勝ち、子供時代の夢を成就させたのだと実感していた。
シャトルのフライトデッキ(操縦エリア)からミッドデッキ(居住エリア)に移動する途中で窓の外に目をやり、初めて宇宙から地球を見た。漆黒の闇の中に、青と白と茶色の球体が浮かんでいた。
宇宙飛行士を辞めた理由
そのとき、私は地球の大気層の薄さを目の当たりにして、私たちの世界がいかにもろくて壊れやすいか、そして世界がいかに一つにつながり合っているかを改めて認識した。
北米大陸の上空を通過したときには、カナダとアメリカとメキシコがはっきりと見て取れた。しかし何よりも衝撃を感じたのは、カナダとアメリカの境、さらにはアメリカとメキシコの境を見分けられなかったことだ。
私はすぐに思い至った。国境とは、人と人とを切り離すために人工的につくられたものにすぎないのだ。そして、それは悲しいことだと感じた。世界のリーダーたちにも私のように、地球の美しさと脆弱さを自分の目で直接見る経験をしてほしいと心から思った。
国際宇宙ステーション(ISS)で過ごした13日間は、驚きと学びと内省の日々だった。数々の科学的実験、ほかの宇宙飛行士たちとの仲間意識、そして静かな黙考の時間......その経験を通じて私は大きく成長することができた。
まだ一度しか宇宙へ行っていないのにNASAを辞めるというのは、常軌を逸した発想にも思えた。けれども、スペースシャトルの退役が決まっていて、差し当たりはロシアの宇宙船「ソユーズ」が宇宙に飛び立つための唯一の手段になる見通しだった。ソユーズに搭乗するためには、ロシアで膨大な時間の訓練を受けなくてはならなかった。
当時、わが家の5人の子供は6~15歳だった。NASAを辞めて、子育てに時間を割くことを決意した。