イスラエル奇襲攻撃の黒幕、ハマスのデイフ司令官とは何者か?
ハマス軍事部門を率いる影の男
ヨルダン川西岸と呼ばれる長さ100キロ、幅50キロの地域では、この1年以上混乱が続いている。同地域は1967年にイスラエルに占領されて以来、イスラエル・パレスチナ紛争の中心地だった。
デイフ氏によれば、ハマスは国際社会に対し「占領という犯罪」を終わらせるよう求めたが、イスラエルは挑発を強めたという。同氏はさらに、ハマスは過去にイスラエルに対し、パレスチナ人捕虜の解放に向けた人道上の取引を提案したが、それも拒否されたと述べた。
「イスラエルによる占領の暴虐と、国際法や決議を否定する姿勢、さらには米国や西側諸国の支持と国際社会の沈黙に鑑みて、我々はこうした状況すべてに終止符を打つことを決意した」と、デイフ氏は宣言した。
ハマス軍事部門を率いるデイフ氏は、第1次中東戦争(1948年)の後に設置されたハーン・ユニス難民キャンプで1965年に誕生し、ムハンマド・マスリと名付けられた。87年に始まった最初のインティファーダ(パレスチナ人による反イスラエル抵抗運動)の際にハマスに参加し、その後ムハンマド・デイフという名で知られるようになった。
ハマス関係者によれば、デイフ氏は89年にイスラエルに拘束され、約16カ月拘束された。
デイフ氏はガザのイスラム大学で物理学、化学、生物学を学び、理学士の学位を取得した。芸術にも親しみ、大学のエンターテインメント委員会を率いて、喜劇の舞台への出演も経験した。
ハマスで頭角を現したデイフ氏は、ハマスの地下トンネル網を開発し、爆弾製造の能力を高めた。数十年にわたりイスラエルで最も重要な指名手配者リストの最上位にあり、自爆テロで数十人のイスラエル人を殺害した責任者として名指しされている。
デイフ氏にとって、自らの存在を隠しておくことは生死に関わる必須要件だった。ハマス関係者によると、同氏はイスラエルによる暗殺未遂で片目を失い、片足に重傷を負ったという。
デイフ氏の妻と当時生後7カ月だった息子、同じく3歳の娘は、2014年にイスラエルの空爆で死亡した。
ハマス軍事部門のトップという立場でありながら生き延びたことで、デイフ氏はパレスチナの民族的英雄としての地位を獲得した。映像では覆面をしているか、影だけが映し出される。ハマスに近い関係者によると、同氏はスマートフォンなど現代のデジタル技術を使っていないという。
「捉えどころがない、影の男だ」
(翻訳:エァクレーレン)