誰が首相になろうと「民意はそっちのけ」...相変わらずエリートが権力争いを続けるタイ政治
Thai Electoral Crisis
3カ月の空白期間を経て首相に選出された貢献党のセターは親軍派と連立した AP/AFLO
<大連立政権が発足し15年ぶりにタクシン元首相が亡命先から帰国...新首相が決まっても波乱の火種はくすぶる、混沌としたタイ政治について>
5月の総選挙から3カ月余り、議会で民主化を阻む動きが多発した後で、ようやくタイの新首相が決まった。だがこの国の政治の混乱を考えるならば、次の出来事のほうが大ニュースかもしれない。
8月22日、議会がタイ貢献党のセター・タビシンを首相に選出する数時間前に、汚職などで有罪判決を受けたタクシン・シナワット元首相が15年ぶりに国外の逃亡先から帰国したのだ。
激動の1日はタイの未来と民主化に何を意味するのか。3つの疑問から見ていこう。
タクシンとは何者なのか
タクシン派の諸政党は先の総選挙で革新派の前進党に1位を譲るまで、タクシンが首相に就任した2001年以来、全ての国政選挙で最多議席を獲得した。貢献党もその系譜に連なるタクシン派政党だ。
タクシンは王室や軍の優位を揺るがす人気を誇った。そのため国内で分断が進み、タクシン派の「赤シャツ隊」と王室および軍上層部を支持する「黄シャツ隊」が対立し、抗議活動を繰り広げた。
対立は2度の軍事クーデターを引き起こした。06年のクーデターでタクシンは失脚し、国外に逃れた。プラユット・チャンオーチャー前首相が陸軍司令官として先導した14年のクーデターでは、タクシンの妹インラック・シナワットが首相の座を追われた。
22日、首都バンコクに到着したタクシンは最高裁判所に連行され、8年の刑期を言い渡されて収監された。
新首相誕生の経緯は?
貢献党は5月の総選挙で親軍派とは連立しないと公約した。選挙後は第1党となった前進党の政権樹立を支援した。
ところが事実上、軍事政権が議員を任命した上院で、前進党のピター・リムジャラーンラット党首が首相選出を阻止されると方針を転換。貢献党は実業家セターを独自に首相候補に擁立し、親軍派の2党との連立を発表した。こうしてセターは首相選出に必要な上院の支持を確保した。
貢献党も前進党も軍政を声高に批判したのは同じだ。だが大きな争点である不敬罪に関しては、異なる立場を取った。国王や王妃を批判すれば最高15年の禁錮刑を科されかねない不敬罪を前進党が改正すると誓う一方、貢献党は現状維持を表明した。
不敬罪に対する立場の違いは総選挙で前進党の勝利の決め手となったが、親軍派と保守政党が貢献党の支持に回った理由もここにある。
タイの今後はどうなる?
貢献党から首相が誕生した日にタクシンが帰国したのは、偶然ではない。高齢や病気を理由に彼を早期に保釈させる下地は、既に整いつつある。今後タクシンが政府内で暗躍するのは確実で、セターとの権力争いも危ぶまれる。
次の総選挙は楽勝ではないだろう。貢献党は親軍派を含む11党の大連立を樹立する。これを維持できれば有権者の心をつかむ可能性はある。
だが貢献党は連立から締め出すなどして前進党を裏切り、親軍派を権力から遠ざけるという公約を破って自分の支持者も裏切った。前進党支持者は怒り、首相誕生の数時間後にはタイのSNSで「#NotMyPM(私の首相ではない)」がトレンド入りした。
今回もエリートの反民主化勢力が民意を抑え込んだ。タイの政治は再び波乱の時代を迎えるかもしれない。
Adam Simpson, Senior Lecturer, International Studies, University of South Australia
This article is republished from The Conversation under a Creative Commons license. Read the original article.