エロくて下品で豪快な「政界のドン」ベルルスコーニが逝く
Death of the “Teflon Don”
実業家としての成功
ベルルスコーニは1936年、銀行員の父と主婦である母ローザの間に生まれた。首相時代は、ローザを外遊に同行させたり、公式晩餐会で自分の隣に座らせたりと、イタリア人らしいマンマ(母親)愛を炸裂させていた。
ベルルスコーニが初めて就いた仕事の1つは、掃除機のセールスマンだった。1960年代にはクルーズ船で歌手のアルバイトをした。音楽好きは生涯変わらず、政界入りした後も、ナポリのバラード曲を歌い今も愛されるアルバムを発表した。
61年に法学部を優秀な成績で卒業すると、65年に最初の妻カルラと結婚。後に離婚するが、よほど経済的に手厚い支援を約束されたのか、カルラはベルルスコーニとの関係をタブロイド紙にベラベラ話さない唯一の女性だった。
カルラとの間にできた娘マリーナと息子ピエルは、後に、ベルルスコーニが築いたメディア帝国や建設業で重要な役割を果たすようになる。
1990年、ベルルスコーニは2番目の妻ベロニカと結婚。女優だったベロニカがトップレスで踊る姿にノックアウトされたのだと、インタビューでは語っていた。彼女との間にも3人の子供がいる。
2010年のベロニカとの離婚は、泥沼の法廷闘争となってメディアをにぎわせた。きっかけは、ベルルスコーニが未成年者と関係を持っているというベロニカの告発(左派系新聞への寄稿)だったが、離婚後も年間4800万ドルもの生活費の支払い継続を命じられたことも大いに話題になった。
ベルルスコーニが建設業で頭角を現すきっかけとなったのは、ミラノで働く成功した若手たちのために、郊外に上質なマンションを建築するプロジェクトを大成功させたときだった。
ただ、その元手となった資金の出どころについては、最後まで黒い噂が付きまとった。マフィアが絡んでいたともいわれるが、捜査当局が何度調査しても立証することはできなかった。