エロくて下品で豪快な「政界のドン」ベルルスコーニが逝く
Death of the “Teflon Don”
やがてベルルスコーニは、建設業で得た利益で放送局を次々買収してメディア帝国を築いていく。74年に立ち上げたケーブルTV局テレミラノや、80年に開局したカナーレ5などで、アメリカではやっていたシットコムをイタリアのお茶の間に紹介した。
さらに、今やイタリア最大の民放テレビ局となったメディアセットを立ち上げ、大好きな『ゼネラルホスピタル』や『ダラス』といったアメリカのドラマを放送させた。
その一方で、ベルルスコーニのテレビ局では、露出度の高い格好をした若い女性たちが、年配の男性出演者に取り入るような演出の番組が多く、イタリア社会の性差別を助長する役割も果たした。女性を無知でお飾り的な存在のように演出する手法は、今もイタリアのテレビに強く残る。
その後もベルルスコーニは、不動産、出版、商業施設などに投資を続け、さらに名門サッカークラブACミランを買収した。その中心となった持ち株会社フィニンベスト・グループは、傘下に150以上の事業を持ち、同じくらいの数の捜査や裁判、そして不正な会計処理による罰金の対象になってきた。
イタリア人のスポーツ熱にヒントを得て、中道右派政党「フォルツァ・イタリア(頑張れ)」を結成したのは94年のこと。狙いどおり、同党は選挙で大勝利を収め、ベルルスコーニは首相を4期務めた。
女性の地位向上に貢献?
公人となったベルルスコーニには、脱税や贈収賄やマフィアとの関係、未成年のコールガールとの性行為など、次々とスキャンダルが発覚した。
有罪判決を受けたことも少なくないが、自分が政権を握ったときの法改正で、無罪に覆した事件も少なくとも2つある。13年に脱税の有罪判決を受けたときは、高齢(当時76歳)を理由に、禁錮刑の代わりに社会奉仕活動を命じられた。
イタリアの女性の地位向上のために自分ほど尽くした人間はいないと、ベルルスコーニはしばしば豪語した。だが、世界の多くの国が、賃金格差や性差別の是正に動くなか、イタリアは大きく取り残されている。
世界経済フォーラムが毎年発表するジェンダー・ギャップ指数で、イタリアはいつも低い順位に甘んじている。他のヨーロッパ諸国と比べて女性の管理職や意思決定者は少ないし、育児休暇制度も十分とはいえない。イタリアでは制度的に、育児は女性の役割とされているのだ。