アメリカに避難した27万人のウクライナ難民に迫る、タイムリミット
AN IMMIGRATION LIMBO
これまでマリアと娘のように臨時許可で入国した人たちの苦境に光が当たることはあまりなかった。アメリカに逃れてきたウクライナ人の大半は、強制退去の危機が差し迫っていないためだ。
現在、ほとんどのウクライナ避難民はU4Uの下でアメリカに滞在している。このDHSのプログラムは、移民専門弁護士や支援団体の評価も高い。
米国内に支援者がいることなどを条件に2年間の滞在を認める同プログラムは、門戸の狭い国務省の難民認定プログラムに代わる仕組みになっているのだ。この制度によりアメリカが受け入れたウクライナ人は10万人を超す。
夫婦で滞在期限が違う場合も
一方、U4U以前に臨時許可で入国した人たちは、もっと先行き不透明な状況に置かれている。DHS内の機構の仕組みがその大きな原因だ。
メキシコから国境を越えてアメリカに入国した人たちに対応するのは、DHS内の税関・国境取締局だ。この機関は、長期滞在を望む人たちへの対応よりも、入国管理を専門としている。長期滞在者への対応を専門とするのは、DHS内でも市民権・移民局だ。
3月にDHSが全員を対象に滞在期間延長の審査を行う方針を示すまで、臨時許可で入国した人たちが滞在期間の延長を申請するためには、入国手続きを行った場所まで赴いて申請する必要があった。
アタマスの場合で言えば、米北東部のマサチューセッツ州エバレットから、南西部のカリフォルニア州南部まで足を運ぶ羽目になるところだった。
マサチューセッツ州スプリングフィールドからカリフォルニア州サンディエゴまで出向かなくてはならないはずだったのは、オレクシーとナタリアのワシチェンコ夫妻だ。
ロシアとの国境から100キロほどの村で暮らしていたワシチェンコ一家は、開戦直後の日々、家の上空をロケットが飛んでいくのを見て過ごした。「最初の数週間は極度の恐怖の下で生きていた」と、夫のオレクシーは振り返る。
ロシア軍が村に乗り込んでくるという情報を隣人から聞くと、ナタリアは息子と一緒に村を脱出した。ぎゅう詰めの列車に乗ってポーランドを目指し、そこからドイツ、フランスを経て、メキシコに渡った。
メキシコシティに着くと、南東部の町カンクンに連れて行かれて、バスでアメリカとの国境まで運ばれた。そこで待っていた税関・国境取締局の職員が人道的臨時入国許可の手続きをした。しかし、ナタリアと息子の滞在期限は4月19日で切れる。