「オンラインなら再会できるはず」──北朝鮮に残した「離散家族」の消息を求めて
N. Korean Family Reunion ASAP
筆者(上段右)の父(中段右)は米国在住 COURTESY OF SHARON KIM SOLDATI
<朝鮮戦争が生んだ「離散家族」は今や80~90代と高齢に。手遅れになる前に再会を実現させてほしいと願う家族たちの今>
1950年6月25日に北朝鮮が韓国に侵攻すると、数日後には米軍が北朝鮮への爆撃を開始した。私の父は韓国に逃れたが、身内が皆38度線を超えられたわけではない。彼の父親と兄夫婦と姪は、北朝鮮に取り残された。
ジョー・バイデン米大統領は1月23日、2017年以来空席だった北朝鮮人権担当特使に国務省高官のジュリー・ターナーを指命すると発表した。希望を新たに、父は上院がターナーの就任を承認するのを心待ちにしている。
頭上を飛ぶ米軍の戦闘機に怯えながら閉鎖された工場に逃げ込んだとき、父は9歳だった。寒い冬になると爆撃は激しさを増した。
「子供たちを連れて南に行きなさい」と、私の祖父は祖母に言った。「戦争が終わったら帰っておいで」
70年以上がたったが、祖父や親族からの音信はそれきり途絶えたままだ。
50年12月、父は最後の列車の1本に家族と飛び乗り、その屋根に登って故郷の沙里院市を離れた。列車が停まるたびに兄のジョングクが鍋を持って雪の積もった屋根から地面に降り、米を炊いた。
走る列車の屋根から大勢が落ちて死んだが、見ているしかなかったと父は言う。次兄は北朝鮮軍に徴兵されていた。彼の帰りを、妻と1歳の娘と父が家で待った。
朝鮮戦争で家族と生き別れになった人が、アメリカには何万もいる。その多くが、今では80~90代だ。
昨年12月、バイデン大統領は23会計年度の国防予算を決める国防権限法案に署名した。ここに盛り込まれた「離散家族再会法」は、北朝鮮に家族がいる国民との話し合いを国務長官に義務付けている。
1月、私は父が暮らすジョージア州アトランタ郊外の韓国系ベーカリーで父の仲間と会った。父が「食べなさい」と言って、くるみまんじゅうの皿を押して寄こした。
お年寄りたちは興奮気味に政府の動きを語った。離散家族全米連合ジョージア支部の顧問を務めるクリス・チョンは、ビデオ通話を使った再会への期待を口にした。「死ぬ前に実現できたら思い残すことはない」と言う彼は、平壌出身で現在77歳だ。