ウクライナ戦争を二元論で語る「自由世界」にいる、自由ではない人々
WHO IS PART OF THE FREE WORLD?
バイデンは「自由世界」の旗振り役を自任しているが…… EVELYN HOCKSTEINーREUTERS
<2月7日、バイデンは一般教書演説で「自由世界」はプーチンの責任を追及してきたと声高に述べるだろう。しかし、どちらの立場も拒否する国々も多い。従来の「自由世界」を再定義すべきとき>
去年の一般教書演説で、バイデン米大統領はその6日前にウクライナ侵攻を開始したロシアのプーチン大統領をこう批判した。彼は「自由世界の根幹を揺るがそうとしている」と。
2月7日に予定される一般教書演説で、バイデンはこの1年、「自由世界」はウクライナを支援しプーチンの責任を追及し続けてきたと声高に述べるだろう。しかし、「自由世界」とは一体何を意味するのか。
「非自由世界」との境界線はどれだけ明確に引けるものなのか。そして、ロシアに対抗しウクライナを支援するか否かでどちらの世界に属するかを決めることは、公平なリトマス試験であると言えるのだろうか。ある意味、ウクライナは間違いなく非自由世界と境界を分かつ自由世界側の最前線にある。
ロシアの行動は自由に対する露骨な攻撃だ。ウクライナという独立国家を征服し、領土を併合し、彼らの国家としてのアイデンティティーを失わせるというロシアの最終目標は、まさに自由を否定する行為である。そうしたロシアに抵抗することで、ウクライナ人は自分たちの自由を守ろうとしている。
しかし、自由が奪われる状況とは独裁や征服だけを指すわけではない。ノーベル経済学賞を受賞したインドの経済学者アマルティア・センは一昨年の回顧録で、1944年にイスラム教徒の日雇い労働者が仕事からの帰り道でヒンドゥー教徒の暴徒に襲われ死亡したことに言及している。
労働者はこの仕事が危険だと分かってはいたが、経済的な理由からほかに取れる選択肢がなかった。センは書く。
「貧困は人々から全ての自由を奪うところにまで及んでいるのだと気付かされた。殺される可能性が非常に高いと分かっていながら、その選択肢を回避する自由さえ奪ってしまうところにまで」
センは政治的自由や経済的資源、社会的機会、透明性の確保、身の安全という全ての自由があってこそ、人々が願う生活を送るための「ケイパビリティー(潜在能力)」を高められるのだと説いた。
この意味では、バイデンの言う「自由世界」の先進的な民主主義諸国にも自由ではない人々が大勢いる。