ロシアで服役中の米国人が送る拷問の日々...家族が語るウクライナ戦争後の変化と不安
My Twin in a Russian Prison
2016年に撮影した家族の集合写真。後列中央がポール、同右がデービッド COURTESY OF THE WHELAN FAMILY
<2018年にロシア当局にスパイ容疑で拘束され、懲役16年の判決を受けた元米海兵隊員ポール・ウィーランの釈放を働きかける家族の奮闘の日々>
沈黙は最悪だ。私の双子の兄弟ポール・ウィーランは今、人質としてロシアの刑務所に入れられている。だから連絡がないと心配だ。いや、いつだって心配しているが、声を聞けないと不安が募る。
ポールはほぼ毎日、家族に電話をよこす。その電話が来ないのは、いつもの人権侵害以上の何かが起きている証拠だろう。彼が毎晩、2時間おきに起こされることは知っている。2年もの間、2時間以上まとめて眠ることを許されない状況を想像してくれ。30日も独房に閉じ込められたことがあるのも知っている。それは「拷問」だと、国連も言っている。
両親への電話。今はこれだけが頼りだ。私がポールに会ったのは2018年10月が最後だ。ミシガン州にある実家で会った。そのとき彼は、今度のクリスマスはモスクワに行って、昔の海兵隊仲間の結婚式を手伝うことになると言った。両親の世話は心配するな、と私は返した。そのときは、まさかポールのことを心配する日が来るとは思ってもいなかった。
電話が途絶えたのは昨年の9月と11月。後にポールは、あのときは(民間軍事会社の)ワグネルが刑務所に来ていたと説明してくれた。連中は服役者に、ウクライナの戦場に行く気があれば刑務所から出してやると言っていた。その話がばれては困るから、刑務所側はポールを所内の病院に閉じ込めて口を封じた。
ポールは看守に、感謝祭なのに電話がなければ家族が心配すると抗議したという。そういう話を聞けたときはうれしかった。悪名高いロシアの刑務所病院から無事に生還できただけでも、せめてもの幸いだ。
沈黙の日には、最悪の事態を覚悟してしまう。逆に、最善のこと(=釈放)を期待したりもする。いずれにせよ、連絡がなければ何も分からない。昨年12月には(違法薬物所持の容疑でロシア側に拘束されていた女子バスケットボール選手の)ブリトニー・グライナーが釈放されて帰国したが、その前後もポールは毎日、刑務所から電話してきた。
毎日午後1時に両親は電話の前に座る
グライナーが釈放されたのは喜ばしいことだ。でも、それで私たち家族の日常が変わるわけではない。今の私たちには2つの顔がある。淡々と仕事をし、隣人と談笑し、庭の手入れや犬の散歩をしたりする顔と、別なルーティンをこなすときの顔だ。
毎日午後1時になると、両親は電話の前に座ってポールからの電話を待つ。電話が来たら、元気かいと聞き、欲しいものはないかと尋ねる。こちらからは、地元のお祭りとか愛犬フローラの最新のいたずらなど、できるだけ明るい話題を伝える。