共産革命から経済大国へ──江沢民と中国の軌跡
汪道涵は新四軍派の重鎮として国務院の要職を歴任し、その後は上海市長に転じた。汪は自分が重要なポストに就くたび、目をかけていた江を必ず一緒に昇進させた。
汪が貿易や対外直接投資を統括する新しい機関の責任者に就くと、江も幹部に就任。この時期の経験から、彼は党内で数少ない貿易のエキスパートになれた。
1985年、汪は身を引くに当たり、後継の上海市長に江沢民を推挙した。そして党中央の指導部に猛然とアピールした。結果、その願いはかなえられた。
江にとって、これは重要な節目になった。上海市長になれば、上海市党委員会書記のポストまではあと一歩。そして上海の党委書記になれば、自動的に党中央の政治局員の座も得られる。
80年代後半に続いた政治的混乱で、江のキャリアは自身が願っていた以上に飛躍した。あの時期に総書記だった胡耀邦と趙紫陽は若者たちの民主化運動に甘く、混乱を招いた「政治的過失」を問われて相次いで失脚した。おかげで、政治局員になったばかりの江に重要なポストが回ってくることになった。
運命の1989年6月、江は新四軍派の支持を受け、対外貿易に精通しているという実績も武器に、解任された趙紫陽の後任として党総書記に就任した(ちなみに鄧小平は別の候補者を支持していたとされるが、自身が推した前任者2人が続けて失脚したこともあって、新四軍派が強く推す江を受け入れざるを得なかったとみられている)。
しかし、決して平穏無事な船出ではなかった。北京の天安門広場を埋めた民主派は、6月4日に人民解放軍によって蹴散らされていた。直後に急きょ党中央委員会が招集され、6月23日に江は「投票で」党総書記に選出されたことになっている。
鄧小平は同年11月に党中央軍事委員会主席を退き、一度も軍隊経験のない江に軍の支配権を譲ると発表した。
当時の人民解放軍では、鄧と親交のあった楊尚昆と楊白冰兄弟が中心となって実権を握り、江を人民解放軍の表看板にすぎない存在にしようと画策した。だが江は革命第1世代の子息である曽慶紅を引き込み、92年の第14回党大会で鄧を説き伏せ、楊兄弟を権力の座から引きずり降ろした。
その頃、もう1つの危機が訪れていた。最高指導者の鄧が91年に、経済の民営化推進を打ち出したからだ。長らく国有企業部門で働いていた経験から、江は鄧の要求を受け入れることに躊躇し、ライバルたちから厳しい批判を浴びることになった。このとき江は素早く方向転換し、民営化推進に舵を切っている。
振り返れば、政治的な嗅覚に優れた江の最大の功績は転換期の中国を巧みに導いて革命期から成長期へ移行させ、かつ革命期に付き物の暴力を回避したことだろう。