生きているうちにこの言葉を聞くとは...中国・反政府デモで、天安門の悪夢が蘇る
The Crackdown Begins
サブリナによれば、最初のうちはウルムチでの火災の犠牲者をしのんで路上でろうそくをともしたり、花束を供えたりする静かな集まりだった。だが午前1時半頃、一部の参加者が白い紙を掲げ、反体制的な訴えを始めた。追悼集会は抗議活動に変貌し、スローガンを唱えて数百人が行進する事態になった。
「かなり分散型(のデモ)だった」と、ジュリアナは話す。「主催者なしに自発的にやって来た人々が、それぞれ言いたいことを掛け声にしていた。誰かがスローガンを叫んでも、残りの人が後に続かない気恥ずかしい場面もあった」
ジュリアナやサブリナにとってもう1つの驚きは、警察などが当初、抗議阻止に動かなかったことだ。
中国では、騒動やデモは多くの場合、関係者・参加者の逮捕や関連情報の検閲という形で早急に抑え込まれる。北京での第20回党大会の開催を間近に控えた10月13日、同市内の四通橋に習を批判する横断幕が掲げられる事件が起きた際には、関与が噂される人物が拘束され、事件に関連する画像を共有したSNSアカウントは直ちに閉鎖された。
だが今回、上海警察と地元当局は不意を突かれ、取るべき対応に迷ったようだ。
サブリナがウルムチ通りに到着したのは27日午前1時頃。警察官数十人が通りを封鎖するように立っていたが、誰もが制止されずに集会に参加できたという。サブリナは警官の1人と話をし、静観ともいえる非暴力的な態度に驚いたと伝えることさえした。
「参加者に対して何をするのかと聞いたら、はっきりとは分からないが、この場所で立っているようにとの指令があったと言っていた。私たちがそこを離れる前には、笑顔で私たちに手を振り、参加者らに挨拶もしていた」
比較的平和な雰囲気の中、言論の自由を求める声や一党支配に反対する声が上がるなど、政治的にセンシティブな言葉を堂々と口にすることもできた。デモの参加者2人が警官隊に近づき、制圧しないことに感謝する場面もあった。
しかし、当初のこうした反応は、政治的な抗議に対するソフトなアプローチというより、地方や国の指導部がある程度、驚いていたことを反映していたのだろう。中国の治安・警察制度に詳しい米クラーク大学のスーザン・スコギンズ准教授は、「警察の関連部署はこのような抗議活動を想定して、何年も何十年も訓練を受けてきた」と述べる。
数時間後、ウルムチ通りにいた警官はデモ参加者に立ち去るように促し始め、従わない人々を逮捕した。翌日、ウルムチ通りの標識が撤去され、付近は一時的に封鎖された。