「公園で毎日おばあさんが犬としていた」40年前の証言
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<「池袋=変態」と決めつける書き方はどうかと思うが、普通とは何かを考えさせられる一冊『ルポ池袋 アンダーワールド』>
少なくとも私にとっては昔から、池袋は「エリア外」の街だった。
セゾン美術館と「WAVE」というレコード店があった1990年代初頭までは、その2カ所のためだけに月に何度か訪れてはいた。しかし、だからといってそれ以外のどこかに立ち寄ることはなかったし、両者がなくなってからはますます足を運ぶ機会が減った。
それはなぜか?
単に相性の問題かもしれないが、同じ東京都内といえども、私の住む地域と池袋はなにかが決定的に違っているのだ。
もちろん、どちらが上だと比較したいわけではない。ましてや、そのニュアンスを言語化するのは難しいことでもある。が、理由はどうあれこちらが意識的に距離を詰めていかない限り、おそらくは10km程度しか離れていないであろうその街との距離は、今後も縮まらないような気がしている。
言いかえれば、池袋は私にとって「なんだかよくわからないエリア」だ。
『ルポ池袋 アンダーワールド』(中村淳彦、花房観音・著、大洋図書)を読んでみたいと思ったのも、わからないエリアのことを理解したいという気持ちがあったからだ。そして読了した結果、少しだけ、この街のことが理解できたような気がした。
いや、そんなのは気のせいで、実は理解などできていないのかもしれないが、ぼんやりとしていた街の外形が、少しだけ見えやすくなったのは事実だ。
「東男と京女」という言葉がある。
粋でたくましい江戸の男と、しとやかな京都の女はお似合いだという、江戸時代の男女の理想的な相性の組み合わせのことだ。
「池袋」を描いたこの本は、東京で生まれ育った明らかに粋ではない男と、しとやかとはほど遠い京都の女(正確に書くと私の出身は兵庫)の共著だが、相性云々の話で言うと、最悪かもしれない。(「はじめに 花房観音」より)
こう述べる花房氏にとって、東京はずっとフィクションの街だったという。テレビの中に映っていたり、小説や映画に描かれているような、現実感のない街。一方、共著者の中村淳彦氏は、東京に生まれ育ち、東京から離れたことがないそうだ。
ここでは、そんな両者がそれぞれの視点から、豊島区に位置するこの繁華街について語っているのである。まずは花房氏、次に中村氏という順序で全十章が綴られていく。