「病院に行かせてくれない」「祈れば治ると言われる」──宗教2世が体験した医療ネグレクトの数々
医療的効能の表示をすることについては、一般的には薬機法(旧薬事法)に基づく厳格な解釈がなされている。しかし、宗教や呪術に関しては、厳密に適用されているとは言い難い。
呪術的な民間療法は、それ自体に有害なものもあれば、無害に思えるものもある。しかしそれでも、「現代医療を受ける機会を奪う」という、間接的な有害さを常に持ちうるものでもある。
また宗教的声がけの中には、怪我、病気、障害を「悪いこと」として位置付けた上で、信仰心が不足したゆえのペナルティなのだと説明するものも少なくない。このような声がけは、病気などになった個人に対して、罪悪感や自責感などのネガティブな感情を植え付けるという、精神的健康にとって有害なものにもなりうる。
怪我や病気を心配されるどころか、信仰不足を責められること。医療行為を与えられないこと。それに異論を唱えれば、親から拒絶されるかもしれないと怯えざるをえないこと。病気などの苦難を口実として、信仰への誘導を行うことは、2世である子供にとって何重もの苦痛となるだろう。
そうした経験は、病気や障害などを、「自己責任」と位置付ける信念を強化してしまうかもしれない。また以前、別の記事でも触れたように、時には障害や病気を持つ人に対する見下し感情や、「優生思想」を持つことも懸念される。
根深いのは、医療行為をタブー視する感受性が、大人になっても残ってしまう2世が少なからずいる点だ。「病院に行くことに罪悪感を抱く」という2世は、決して珍しいわけではない。そのことが、時には「病気になっても、病院に行かない」といったセルフネグレクトにつながる可能性さえある。
有害な宗教教義や宗教的声がけは、脱会した2世の「その後の価値観」にも大きな影響を与える点も決して軽視してはならない。むしろ医療側からもまた、医療忌避を植え付けられて苦しんでいる2世当事者らに対して、精神的ケアを提供できるような体制づくりも必要となってくるだろう。
こうした論点は、まだまだ国会でも向き合いきれていないのが現状だ。2023年の国会では、「医療ネグレクト対策」「2世らへの医療サポートの拡充」についてもまた、真正面から議論してほしい。
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