「病院に行かせてくれない」「祈れば治ると言われる」──宗教2世が体験した医療ネグレクトの数々
●女は身体的に強いと前置きをされ、医療的なネグレクトを正当化。入管問題によくあるような、「仮病扱い」なども受けた。その結果、病気の発見が遅れて重病化したり、死にかけたりした。それらを精神論で片付けようとする様が、醜悪だった。
●病院になるべく行かない、薬をなるべく使わないという教えがあるので、実家にいる間は殆ど病院に行かなかった。生理痛が辛い時に、痛み止め薬を隠れてしか飲めないのが辛かった。実家を離れてからは普通に婦人科に通院しているが、親には言っていない。
●薬は毒なので、薬はもちろんワクチンは接種してはいけない。漢方も摂取してはならない。
こうした書き込みは、氷山の一角に過ぎない。反ワクチン運動などの医療カルトも含め、「現代医療を否定する」「代替医療・民間療法を推奨する」という団体は少なくない。宗教法人においては、「信心を持つこと」自体が、代替医療として推奨されることもある。
病気を持つ当事者が、不安や恐怖などから、藁にもすがる思いで代替医療に接続をするのはよくあることだろう。だが、2世問題においては少しフェーズが異なる。親や家族が、子供に対して医療行為を拒否することにより、健康を損なわせてしまうのである。
虐待防止法では、家庭内での虐待に焦点が当たりがちだ。だが今後は、団体による「虐待推奨行為」を視野に入れ、医療ネグレクトについての対処も検討される必要がある。
怪我、病気、障害は「ペナルティ」
「病院に行かせない」といった医療ネグレクトとまではいかなくとも、「医療的効能」を強調するような宗教や信者集団は少なくない。「信心によって治る」といった、楽観的な声がけもあれば、「信心がないせいで病気になる」といった、脅迫的な声がけもある。
●お浄め(おきよめ)をすると病気が治る。アトピーや癌など、さまざまな病気が治った人が周りにたくさんいる(と言われた)。
●「信心したら〇〇さんの病気がよくなったから、あなたもしっかり信心しなさい」と言われた。
●小学校高学年で、病気や怪我をした時に、心配もされず、「日頃の行いが悪いから、神様が教えてくれているんだ」と言われた。
●幼児期に当時不治の大病にかかり治療法もなく医師に死ぬと言われたが助かり、それは祖父母や両親の信心のお陰、お前も信心しないとまた病気になって死ぬかもしれないと言われた。
●あの人は信心が足りないから事故にあった、病気になった、不幸になった等、脅すような物言いをよくされたが、入信すらしていない大勢の人達はどうなるのかと疑問を持っていた。
●自分が怪我や病気をした時に、日頃の「ほこり(欲張りな心などのこと)」を神様が怪我(病気)として教えてくださった。日頃の行いを改めなさいと言われた。怪我や病気に対する心配はしてもらえず、責められた。
●良いこと良い結果は「神様のおかげだね」、怪我や特に病気は「心づかいがよくないからバチがあたったんだ」と自分自身が悪いと言われる。怪我や病気をしても心配されるどころかそうやって怒られていたので、他人が怪我や病気をしても同じように思ってしまい、他人を心配するという心が欠落している自覚があります。