「ゴルバチョフって奴は分かりにくい男だよ」──「敗軍の将」の遺産とは?
Gorbachev's Disputed Legacy
党書記長に就任した当初は経験不足を懸念する声も小さくなかった BRYN COLTON/GETTY IMAGES
<西側のカモ、それとも腐敗した全体主義から解放した偉大な政治家か? 生い立ちから理想に燃えた時代、ソ連邦崩壊、ノーベル平和賞、愛妻ライサの死、そしてNATO拡大を批判した晩年>
ミハイル・ゴルバチョフは8月30日、長い闘病の末に91歳で死去したとロシアのメディアが伝えた。悲劇的で陰鬱な血に染まったロシアの歴史において、その存在は数少ない希望の灯だった。
最悪の時期でさえユーモアを忘れず、楽天的な笑顔で周囲を和ませた。政治に情熱を傾けたが、自身のエゴのために権力の座にしがみつくことは潔しとしなかった。
旧ソ連のトップダウン方式の経済を改革し、統治の透明性を高め、自由と人権を拡大するため、ペレストロイカ(改革)とグラスノスチ(公開)の旗を振ったのは、こうした資質のなせる業だ。最大の偉業である冷戦の平和的な終結を実現する上でも、こうした資質が役立っただろう。
しかしロシア史における位置付けはそう単純ではなく、今も確定していない。ロシアの民族主義者や旧秩序の熱烈な擁護者たちは、ソ連崩壊時の指導者だった彼を西側のカモ、あるいは裏切り者と見なしている。
その他のロシア人や旧ソ連を構成した共和国の人々は、腐敗した全体主義のくびきを解いてくれた大局的な視座を持つ政治家として高く評価している。本人も毀誉褒貶の激しさを意識してか、伝記作家のウィリアム・トーブマンに自虐的なジョークを飛ばしたことがある。
いわく「ゴルバチョフって奴は何とも分かりにくい男だよ」。
時代の申し子だったことは間違いない。両親はロシア人とウクライナ人の農民。当時はまだ革命前のインテリゲンチャ(知識階級)が教師を務めていた学校で高等教育を受け、「大祖国戦争(第2次大戦中の独ソ戦)」の勝利の興奮冷めやらぬ時期に大人になった。
ゴルバチョフ家も同時代のロシア人の例に漏れず、戦後の荒廃、飢餓、スターリン政権下の恐怖支配に耐えなければならなかったが、戦争を生き延びたことを喜び、未来に希望を抱いていた。
後に妻となるライサとは、モスクワ国立大学の寮で出会った。それは独裁者として知られたヨシフ・スターリンが死去する前年のこと。当時ライサは哲学を学んでいた。ゴルバチョフの政治生活を通じて、彼女はなくてはならない心の友となり、ライバルや政敵に囲まれた彼が常に助言を求める良き相談相手となった。