「映画検閲法」に挑む新世代──90年代の香港映画ファンにこそ見てほしい
香港の文化的想像力
香港の文化的アイデンティティーをめぐる問題の根底には、それが政治的言説と切り離せないという事情がある。そう指摘するのは香港中文大学文化研究科の彭麗君教授だ。
彭は、香港の独立系映画の盛り上がりと並行して、香港ポップスのボーイズバンドやYouTubeの人気チャンネルの急成長を指摘し、「私たちが見ているのは文化のルネサンスだ」とも述べた。
この3月にイギリスで開催された香港映画祭のテーマは、香港の文化的遺産を取り戻し、堂々と主張し、その再生を祝うことだった。
かつて香港映画は「東アジア映画」というカテゴリーの下で上映されていて、「たいていは古典的で象徴的な作品だった」と、映画祭の共同代表を務めた映像作家の伍嘉良は言う。
「しかし今、私たちには別のジレンマがある。民主化運動を大きく取り上げないと、外国の人には香港映画と認めてもらえない」
だが今回選ばれた独立系の映画は、香港の物語を伝える多面的な努力の結晶であり、今年の映画祭で紹介された監督は皆、今でも活発に映画を撮っている。
「最高の作品は、しばしば最悪の事態から生まれるものだ」と、伍は言う。香港に戻った『少年』の製作チームは、スマホによる映像制作と若手育成を目指す新しいプロジェクトに取り組んでいる。
肯定的でありながら様式化された『少年』のラストシーンについて、任俠は「非難がましい雰囲気の終わり方にはしたくなかった」と説明する。
「非現実的でありながら、徹底的にリアルで、最後には希望がある」
映画の序盤で、少女YYはこう言われる。あんたがこの最悪な状況を受け入れられないからって、それだけで香港が変わると思うなよ、と。いや、変わる、きっと変われる。そう信じたい。