「映画検閲法」に挑む新世代──90年代の香港映画ファンにこそ見てほしい
『憂鬱之島』の1シーン。海を渡って文化大革命から避難した男性は、今も夜明けのビクトリア湾で泳ぐことを生涯の習慣としている COURTESY CHAN TZE WOON
<映画検閲法が成立しても、あえて微妙なテーマにも取り組む新世代の映画人たち。「最悪の香港」が「最高の映画」を生む>
中国が香港国家安全維持法を施行してから、もうすぐ2年。その「鉄のカーテン」は、かつて活況を呈した当地の映画界をも閉ざそうとしている。
香港では昨年10月、反体制活動を「たたえ」、「あおる」ような映画の上映を禁じる映画検閲法案が可決された。当局が有害と見なした映画のライセンスは取り消され、違反者には最高で禁錮3年の刑が科されることになる。
法案成立前の昨年6月にも、2019年の民主化デモをテーマにしたドキュメンタリー映画『理大囲城』の上映許可が土壇場で取り消された。これで映画検閲法が施行されたら、アジア(ばかりか世界)に冠たる香港映画も終わりだ──そう嘆き、あるいは予想する人は少なくない。
そのとおりかもしれない。実際、香港で製作される映画の本数は年間200本以上の新作が公開されていた1990年代前半の全盛期に比べて大幅に減っている。しかし新世代の映画人には、このまま香港映画を死なせるつもりはない。
中華圏のアカデミー賞といわれる金馬奨の候補にノミネートされた『少年』の共同監督である林森(ラム・サム)は「映画業界への包囲網が狭まっているのは確かだ」と語る
「でも創作の意欲を持ち続けていれば、それを実現する方法は必ず見つかる」
実際、『少年』は7万7000米ドルに満たない自己資金を元に、最低限のスタッフで19年半ばに撮影を始めた。香港で、いわゆる逃亡犯引き渡し条例をめぐる大規模デモが起きていた頃のことだ。
その後、新型コロナのパンデミックで制作活動は1年近く中断された。そして撮影と編集が終わった頃には、映画検閲法が成立。『少年』は暴力と自殺を「美化している」として上映禁止となり、配給会社は手を引いた。
「不可能」の文字はない
『少年』は、抵抗者たちが名も知らぬ仲間(「YY」と呼ばれる少女)を自殺させまいと奮闘するさまを描いた物語。先の見えない抵抗が若者の精神状態に及ぼす深刻な影響を捉えた作品だ。
報道によれば、当時は若者の自殺が急増していた。だからメッセージアプリ「テレグラム」で、ボランティアが自殺未遂に関する情報に目を光らせ、自殺を防ぐ上で重要な情報を提供していた。