平和のため、アメリカの力を堂々と主張したオルブライト元国務長官【追悼】
Death of a Patriot
強い信念と鋭い洞察力がオルブライトの存在を際立たせた DAVID HUME KENNERLY/GETTY IMAGES
<アメリカ初の女性国務長官は「アメリカは不可欠な国」と述べ、衝突を恐れずに自国と民主主義の力を信じた>
女性初の米国務長官を務めたマデレン・オルブライトが、3月23日に死去した。84歳だった。
彼女はその長いキャリアの中で、平和を維持し外交の重要局面で突破口を開くため、アメリカの力を堂々と主張することで知られた。
父のヨセフ・コルベルはチェコスロバキアの外交官で、一家はナチスの迫害を逃れるために亡命した。
そんな家族の歴史が自らの外交姿勢に大きな影響を及ぼしたと、オルブライトは断言していた。
「ヨーロッパを解放したのはアメリカだ」。オルブライトは1999年、旧ユーゴスラビアのコソボ紛争への軍事介入を主導する直前、筆者にそう語った。
自分のルーツがある欧州では善良な人々が長く虐げられたと述べ、「私はアメリカの力を信じる。それが私の政治哲学だ」と言った。
しかし彼女はそのタカ派的な立場のために、クリントン政権の同僚たちと衝突もした。
ボスニア紛争への軍事介入を早くから主張したオルブライトは、コリン・パウエル統合参謀本部議長(当時)を非難した。パウエルは回顧録に、オルブライトから「あなたはいつもアメリカは最高の軍を持っていると言うが、使わなければ何の意味があるのか」と詰め寄られたと書いている。
身長は150センチ余りだったが、オルブライトはいつもトレードマークのステットソン帽を目深にかぶり、堂々と部屋に入ってきた。
彼女は国務長官在任中に、アメリカは世界にとって「不可欠な国」だと発言して批判された。
だが国務省報道官だったジェームズ・ルービンによれば、この言葉は冷戦後のアメリカが孤立主義に陥るのを恐れ、国外だけでなく国内にも向けて使ったものだった。
NATOの東方拡大にも尽力した。1999年にはチェコ、ポーランド、ハンガリーが加盟し、西側の同盟が旧ソ連圏に拡大を始める。
記念式典でオルブライトは、赤ん坊の頃に一家がチェコスロバキアからイギリスに逃れたことに思いをはせ、涙を流した。
「歴史の流れを変えた」
2000年にはアメリカの現役閣僚として初めて北朝鮮を訪れ、当時の金正日(キム・ジョンイル)総書記と会談。同じ年にポーランドで開かれた民主主義共同体閣僚級会合も彼女の発案だった。
その戦略的能力を批判する人々もいた。
彼女は「オル(オール=全部)」ではなく「ハーフブライト(半分だけ聡明)」だと陰口をたたき、明確な外交ビジョンがないと非難する声もあった。