【ウクライナ・ポーランド国境現地ルポ】ドイツの難民受け入れ......市民の活躍と差別論
ポーランドのプシェムィシルまで電車で12時間、車内は混み合っていた...... Dasha Timchenko for Newsweek Japan
<ウクライナ難民はドイツにも至っている。そのドイツでは、難民受け入れをどう捉えているのか......>
ロシアによるウクライナ侵攻を受け戦火を逃れた人々は、ポーランドやスロヴァキアを経てドイツにも至っている。そのドイツでは、ウクライナ難民に対してどう捉えているのか......。
シリア難民やパレスチナ難民に比べ、「金髪碧眼」のウクライナ難民に対する態度が好意的すぎるという意見が、英米のみならずドイツのメディアでも見られる。が、そのようなダブルスタンダード論はどうしても的外れに思えてならない。ロシアによるウクライナ侵攻に対し、欧州、特にポーランドやドイツ東部で一般市民が即座に反応したのは、ウクライナ人の外見が自分たちと似ているからではない。地理的、歴史的、文化的に近いだけではなく、欧州全面戦争の可能性が消えない限り「自分たちも同じ舟に乗っている」ということをはっきり認識しているからだ。
兄弟国間での争い
20年前、筆者がドイツ語を学んでいたとき、クラスにウクライナ人がいた。若いドイツ人教師が彼女に「あなたロシア人?」と聞いた。ウクライナ人が答えると、教師は「まあ、私たちにとってはどっちも同じ」と言った。当時はその無神経な応対に驚愕したのだが、それはあながち間違いとも言えないのかもしれない。件のクラスメートは生まれも育ちもウクライナだが、両親はタタール人とロシア人だ。実際、ほとんどのウクライナ人にロシア人の親戚がいる。
上記はニュルンベルク市での話だが、同市は1990年より、第二次世界大戦の和解のため、現在猛攻撃を受けているウクライナ第二の都市ハリコフとパートナー都市となっている。ニュルンベルクの約51.5万人の人口の約24%が外国人で、うちウクライナ系は3.2%だ。トルコ、ギリシャ、ルーマニア系に比べると多くはないが、次ぐロシア系と合わせると、かなり身近な存在に感じる。
子供たちの友人にもウクライナ人、または両親のどちらかがウクライナ人という人も多い。ニュルンベルクの住民なら、誰でも1人や2人、ウクライナ人の知り合いがいるはずだ。外国人である筆者でもそうだ。これらのウクライナ人・ロシア人たちは在独歴も長く、コミュニティ的にも混ざり合っていると、別のウクライナ人は言う。
ドイツ政府は難民を受け入れることを発表したが......
そのような近しい両国間で戦争が勃発したのだから、ドイツ人が感じたのはまず「ショック」だ。だが、ニュルンベルクでは、その距離的・人間関係的な近さから、素早く行動に出る市民が多かった。ポーランド・ウクライナ国境までは、車で1日2日で行って帰って来られる距離だ。筆者のまわりにも、ウクライナに残された知り合いの家族を車で迎えに行った者もいれば、モバイル用バッテリーを集めて国境付近に配りに行った者もいる。
2月27日にはドイツ鉄道が、ウクライナ国籍を持つ避難民をポーランドから無料で輸送することを発表。本稿執筆時点(3月8日)で200万人以上がウクライナからポーランドへ脱出し、さらにその多くがベルリンを目指すこととなった(ただし、国籍を持たない者、特にアフリカ、インド系の外国人に対するポーランド内での扱いの違い、さらには国粋主義者による差別・暴力も問題になっている)。3月4日だけでも1万人以上がベルリンに到着した。
3月3日、ドイツは全ウクライナ難民を受け入れることを発表。以降、ベルリンをはじめ多くの都市で難民を迎え入れる準備を整えているが、難民ステイタスより優位なEU市民として迎え入れるための各種法制度を整えるのに時間がかかっており、実際の登録はまだ始まっていない状況だ。つまり、現時点では少数のシェルター以外、ドイツ政府からのサポートはまだ何もない。
それを支えているのが一般市民だ。ベルリン中央駅では、自宅に難民を受け入れるスペースのある市民が手書きのサインを掲げ、次々に到着する列車を迎え入れている。多くのドイツ人にとってその光景は、2015年〜16年のシリア難民到着を彷彿とさせるものだ。
また、歴史の中でかつて見た光景でもある。1945年、ナチスドイツと戦うために、多くの兵士がロシアやウクライナからベルリンに到着した。今月4日ベルリンに到着したあるウクライナ難民の曽祖父も赤軍兵士として同じように東から西へと向かい、第二次世界大戦が終結するわずか数日前にベルリンで戦死した。「歴史の皮肉だ。しかし、今のドイツ人は変化を遂げた人々」と言う。