「もう親でも子でもない」 ミャンマーの新聞、反体制派に向け家族が絶縁状を掲載
国軍報道官にも問い合わせたが、回答は得られなかった。絶縁通知について国軍のツォウ・ミン・トゥン報道官は11月の記者会見で、紙上でこうした宣言を行った者でも、軍政への抵抗を支援していると判断されれば訴追される可能性はあるとコメントした。
暴力的弾圧
1年前、ミャンマーでは数十万人が街頭に出てクーデターに抗議した。その多くは若者だった。軍による暴力的なデモ鎮圧の後、抗議参加者の一部は国外に逃れるか、国内の僻村(へきそん)地域で武装グループに身を投じた。こうした集団は「国民防衛隊」と称して、民主派勢力による「挙国一致政府」と緩やかに連帯している。
人権団体の政治犯支援協会(AAPP)によれば、過去1年間、治安部隊は抗議参加者を中心に約1500人を殺害し、1万2000人近くを逮捕した。国軍は、これらの数値は誇張されていると主張している。
ジャーナリストのソー・ピヤイ・アウンさんは、武装警官が警棒とシールド(盾)を振るって抗議を蹴散らす様子を撮影し、ニュースサイト「ビルマ民主の声」でライブストリーミングしたとロイターに語った。当局の捜索の手が伸びたため、同氏は国内のさまざまな場所に身を潜めた後、妻と幼い子を伴ってタイに逃れた。11月には父親が絶縁を宣言している。
父親のティン・アウン・コーさんが国営紙「ミャンマー・アリン」に掲載した通知には「両親の意志に反して許しがたい活動に従事しているため、息子との絶縁を宣言する。息子に関して、今後一切の責任を取らない」とある。
「私との絶縁を告げる新聞を目にしたときは、少し悲しかった」とソー・ピヤイ・アウンさんはロイターに語った。「でも、両親が軍事政権からの圧力を恐れていたのは理解できる。自宅が接収されたり逮捕されたりするのではないかと不安に駆られたのだろう」
父親のティン・アウン・コーさんはコメントを拒んでいる。
同様の通知により子どもとの縁を切った2人の親は、軍事政権の注意を集めることを恐れて匿名を条件にロイターの取材に応じた。通知はもっぱら、子どもたちの行動について責任を問われるべきではないというメッセージを当局に送ることだったと話す。
ある母親は、「娘は自分の信じることを行っている。だが私たちが窮地に陥れば娘が心配するのは確かだ」と話す。「私がやったことを理解してくれると思う」
リン・リン・ボー・ボーさんは、いずれ家に戻って家族を養いたいと願っているとして「できるだけ早くこの革命を終らせたい」と語った。
人権活動家のワイ・フニン・プウィント・ソン氏は、このような形で引き裂かれた家族の中には、そうした再会を果たせる例もあるだろうと語る。同氏はこうした絶縁通知について「きちんと弁護士を介して証書を作成しない限り、実は法的には無意味だ」と語る。「数年後には、また家族に戻れるだろう」
だがジャーナリストのソー・ピヤイ・アウンさんは、両親との別離がずっと続くのではないかと恐れている。
「革命が起きてから、戻る家すらない」と彼は語った。「両親を軍政下に残してきてしまったから、いつもとても心配している」
(翻訳:エァクレーレン)
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