米軍が急襲、爆死したIS指導者は「組織の裏切り者」だった
2020年7月、米国務省はハシミに関する丈夫尾に報奨金を懸けていた US Government Handout/via REUTERS
<バイデンは「世界はより安全になる」と胸を張ったが、この男、収容施設にいた際は「模範囚」だった>
2月3日、米軍特殊部隊がシリア北西部のアトメで過激派組織「イスラム国」(IS)のリーダー、アブイブラヒム・ハシミの潜伏先を急襲した。
2時間の銃撃戦の末、ハシミは家族と共に自爆し、女性や子供など13人が死亡した。
作戦の成功により、米国民と同盟国の安全が守られ、「世界はそれまでより安全な場所になる」と、バイデン米大統領は胸を張った。
しかし、ハシミの死が「テロとの戦い」の大きな転換点になるという見方は現実を見誤っている。
ハシミは、イラク北部タルアファルのトルコ系住民中心の地区で生まれた(本名はアミル・ムハンマド・サイード・アブダル・ラーマン・アル・マウラ)。ISでの経験は長い。大学でイスラム法を学び、2007年にイスラム法の教師としてISの前身となる組織に加わった。
その後、ISの最強硬派としてイスラム法の厳格な解釈を主張し、少数宗派であるヤジディ教徒の奴隷化と大量殺戮を推し進めた。ハシミはIS内部で急速に頭角を現し、数々の要職を担った。
しかし、2008年の時点では、現在のような大出世は想像できなかった。
その頃、ハシミは、米軍がイラク南部に設けていた収容施設キャンプ・ブッカに収容されていた。
収容施設でハシミは「模範囚」だった。当時ナンバー2だったアブ・カスワラ・アル・マグリビ(08年に米軍の攻撃により死亡)をはじめとするIS幹部や関係者88人の容貌や立ち回り先、交友関係などの詳細な情報を米軍に提供したのだ。
ハシミは自分を救うために仲間を裏切ったと、米陸軍士官学校の対テロ戦センターで研究部長を務めるダニエル・ミルトンは指摘している。
ISに復帰した後のハシミは、失われた信用を取り戻そうと躍起になり、ISの勢力回復に必死になったのだろう。
2019年に米軍の急襲作戦により前指導者のアブ・バクル・アル・バグダディが死亡した後、ハシミがリーダーの地位を引き継ぐと、ISによる攻撃は激しさを増していった。2021年には、シリアだけで300件以上の武力攻撃があった。
そしてこの1月には、シリア北部ハサカの刑務所を襲撃した。
これは、2019年にISがシリア東部のバグズ村で最後の拠点を失って以来、最も本格的な攻撃だった。ISのメンバー5000人が収容されていた刑務所を数百人の戦闘員が襲撃し、囚人を解放したとされる。