小学4年で「自分は吃音」だと自覚して内向的になった私が、自信を取り戻すまで
‘My Goal Is To Inspire Others’

いつか吃音者のための財団を設立したいというエジュード UNC ATHLETICS/GRANT HALVERSON
<幼少期はどもることが怖くて内向的になりがちだったが、アメフトを通じて恩師や仲間と出会い自信を持つことができた>
母が私の吃音に気付き、言語療法を受けさせたのは私が4歳の頃だったという。でも、自分で意識するようになったのは小学4年生の時だ。
その頃の私は奔放でおしゃべりだったが、一方で自我に目覚め、人からどう見られているかを理解し始めてもいた。吃音症を知らない友人から、なぜそんな話し方をするのかと聞かれて、私はより内向的になった。授業中に先生がする質問の90%は答えが分かったが、どもるのが嫌で一度も手を挙げられなかった。
アメリカンフットボールをやってみたいとずっと思っていたが、現実的に考えるようになったのは高校入学直前の2015年夏のこと。友人みんなに高校ではアメフトに挑戦すべきだと言われ、懇願までされた。
当初は守備の中でも特に大柄な選手が多いディフェンスライン(DL)でプレーしていたが、高校2年の時、オフェンスライン(OL)のコーチであるブライアン・レーンに引き抜かれた。それからはOLを担っている。
レーンは私をゼロから鍛え上げてくれた。アメフトを見ていて、知識もあった私はフィールドで何をすればいいか分かっているつもりだったが、実際には全く違う世界だった。
高校3年だった18年1月、初めて大学から推薦のオファーを受けた。いくつか話が来たが、最終的にノースカロライナ大学への進学を決めた。
チームの仲間は私に何も言わなかった
オファーをくれた大学のコーチの中には、試合中に仲間に声を掛けるとき吃音が出るかと聞く人もいた。チームへの悪影響を心配したのだろう。私はその都度、「試合中には全くどもりません」と説明した。結局は、そのときに心地よく感じているかどうかが問題なのだと思う。
年を重ねると、視野が広くなり他人への理解も深まっていく。大学チームの仲間は私がどもる姿を初めて見たとき、何も言わなかった。あれこれ言われ慣れていた私にとって、それはすごいことだった。彼らは、症状が出ないようにゆっくり話したほうがいい、とも言ってくれた。これには本当に助けられた。